第49回衆議院議員総選挙は、私の所属する立憲民主党にとっては厳しい結果でした。しかし、香川1区には別の風が吹いていた。和田さんのSNSで感じていたものです。

その当時の勢いを『選挙活動、ビラ配りからやってみた。「香川1区」密着日記』は、臨場感あふれる描写で伝えてくれます。

コロナ禍の2年間で、私は計3冊和田さんの本を読みました(よく働きましたね、和田さん!)。本著のほか、『コロナ禍の東京を駆ける−緊急事態宣言下の困窮者支援日記』(稲葉剛さんと小林美穂子さんが共編、岩波書店)、『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか?国会議員に聞いてみた』(左右社)

どの本からも、社会の理不尽に諦めず、頑張るパワーと希望を感じ、和田さんの筆力で一気に読み終えました。
『時給は…』で、和田さんが「おがじゅん」こと小川淳也衆議院議員に「??」と疑問を抱くところでは、私も「そりゃないよ小川さん。いいぞ和田さん!」と加勢したくなりました。和田さんは「はあ!?」と思っても対話を続けます。そうすると、小川さんが反省して考えを改めるところもあります(住居政策)。平行線のところもあります(原発問題)。そして、和田さんが小川さんの説明に「なるほど」と納得するところもあります(消費税)。

言葉を交わすことはめんどくさくもある。でもそれが民主政。民主政の主体は政治家だけではありません。小川さんと和田さんの対話が進むにつれ、「教える人、教えられる人」という区分はなくなっていきます。意見が分かれたままのところがあっても理解しようとし、信頼関係を築いていく。対立をはらんだままくすぶっているより、めんどくさいけどこうありたいと、感動しました。

さて、『選挙活動…』で、和田さんは、小川陣営にどっぷりはまります。たまにサボりつつも、証紙貼り(私も初選挙ボランティアはこの地道な作業でした、なんじゃこれは!とうめいたものです)、電話がけ(ビビりまくり、留守番電話だとホッ)、ビラ配り、「桃太郎」(街宣に行くこと。恥ずかしながら初耳)etc。候補者だけで選挙はできません。無数の人の地道な努力が、欠かせないのです(ありがとうございます!)。

そういえば私の選挙では、日ごろ政治に諸々ダメ出しをしている人が、いざとなると「色をつけたくないんで」と応援していただけず、悲しくなりました。一方で意外な人が強く推してくださったり、じんわり嬉しいこともありました。
いろいろ事情はあるでしょうが、選挙にコミットすることは得難い経験です。断然オススメします。小川陣営に飛び込んだ和田さんが書くように、「まったく知らない人たちと知り合え、それぞれの人生や社会のこと、政治について語り合え、得難い経験」(109頁)になること間違いなし。

ところで、第49回衆議院議員選挙で注目選挙区だったはずの香川1区でも投票率は、57.52%。全国的にはさらに低い55.93%でした。残る4割強の方はいずこに。

小川さんは開票速報が始まった途端に当確が出て、その後のスピーチで、「民主主義とは、勝った51がいかに残りの49を背負うか」とあいさつされました。私も当確後、確かにそう思いました。しかし、付け加えていえば、投票に行かなかった人たちのことも念頭にしていかねばと思います。

「どうせ変わらない」と諦めているのでしょうか。訴えが届かず「違いがわからない」のでしょうか。全国各地で投票に行かなかった有権者の方たちに少しでも訴えが届いていたら、今回涙をのんだ、地道に頑張ってきた仲間たちが国会で働けたはず…。どうすれば良いのだろう? もんもんと考えながらも、前へ進んで行きたいです。

ところで、「うちの選挙区におがじゅんがいたらなあ。応援したい候補がいない」とつぶやく皆様! 小川さんだって完璧ではありません(私もです、はい)。

繰り返しになりますが、和田さんは小川さんと意見が合わないところも多々あります。でも、和田さんのように、ダメ出ししながら応援していただけないでしょうか。そのダメ出しで、候補者は変わるかもしれません。あるいは逆に、「ああなるほど、そういうことか」と皆さんが理解して変わるかもしれません。少しでも前進させるために、あなたの力が必要です(選挙演説みたいですね汗)。

さて、おおかた和田さんに共感するものの、「私は違うなあ…」というところもあります。たとえば、「選挙にありがちな、戦いモードが嫌いだ」(39ページ)。「罵るより、押したい」(同)。

罵ることは論外です。でも戦いは罵倒を意味しません。2019年参院選、私は間違いなく、必死で戦いました。ある支援者から「脳内で『レ・ミゼラブル』の『民衆の歌』が鳴り響いている」と聴いて以来、私の脳内でも

「Then join in the fight
That will give you the right to be free!」
(さあともに戦おう、自由になる権利を得るために!)

が鳴り響いていました。

「そんな大げさな」と思われるかもしれません。しかし、「地盤・看板・鞄」のない野党系新人の私にあったものは、唯一、「立憲主義・民主主義の再生のため何としてでも勝つ」という気合いでした。和田さんは、本著で繰り返し「祭り」たる選挙の高揚したムードを伝えてくださる(この楽しさ、ぜひ皆さんに経験していただきたい!)。でも、選挙は祭りにとどまらず、戦いでもあるのです。候補者本人ひとりのためではなく、現在と未来の人々のための戦い。だからこそ、和田さんが「絶対にできない。疲れちゃうし、面倒だし。」(53頁)と思うドブ板選挙も、小川さんのみならず、果てしなく、無名の候補たちもがむしゃらにやり続けるのです。

「これが正しい選挙なのか?」「なんで休まないの?」と和田さんは、疑問を抱かれます(53頁、75頁)。正しいのか正しくないか、私にはわかりません。しかし、選挙期間は短い。超有名人ならともかく、とにかく生身の自分が前面に立って、お願いしないといけない気持ちになります。「休んでいる間にも、相手候補は…」と思うと落ち着かない。負けるものか。駆け続けるほかない、という気になってしまうのです。

でも、そんながむしゃらに駆け続ける政治家へのリスペクトも、本著の随所にあるのがありがたい。

政治家のこと、「「あんなこと絶対やりたくない」と平気で言い放つけど、(略)「面倒を引き受ける」ってことを考えてみることは大事だ」(172頁)。このくだり、バンバン膝を打ちます。かつてロビーなどして、「国会議員、もっと自由と民主主義のために働いてほしいなあ…」と内心思っていた私は、「あなたが立候補したら」と言われて怯むわけにはいきませんでした。予想した以上に「面倒」ではありますが、不断の努力(憲法12条)を重ねていけること、とてつもなくやりがいがあります。

そして、和田さんが小川さん勝利の歓喜にわきながら、「誇らしく、そして気が引き締まる。これから私たち、がんばろう」と記すのも嬉しいです(163頁)。選挙という祭りの期間は終わっても、民主主義のための不断の努力は重ねなくてはいけません。当選した議員に「お任せ」すればいいのではない。「私たち」が民主政の担い手。そんな自覚をあらためて持てるのも、選挙に関わる醍醐味なのです。

(2022年1月7日)