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第1回

vol.5_こつこつ地道に未来を変えていく,打越、聴きにいく西村智奈美さん_政治家vol.5_こつこつ地道に未来を変えていく,打越、聴きにいく

衆議院議員の西村智奈美さんと打越さく良がはじめて会ったのは2012年。

「西村さんっていう議員さん、いい人だよ。すごくがんばってる」
そんな評判をあちこちから聞いていたのに、落選してしまったと聞いて「励まさなければ!」
メッセージを打越が送ったことから、友人になりました。

そしていま、政治家という仕事の大先輩となった西村さんに、お話を伺います。

それは「女性議員ゼロ」から始まった

まずは議員になったきっかけを伺います。

西村1998年の誕生日に、皆で飲んでたんです。その時に「新潟県議会選挙に出たらどうだ」という冗談のような話が持ちあがり。

それはどういう流れで。

西村「男女共同参画社会基本法というのができるらしい。その法律ができたら県で条例をつくることになるだろう」と。で、ふと県議会を見てみたら、なんと女性議員が誰もいない

え、女性がいなかったんですか。

西村戦後第1回の統一地方選で1人だけ女性が当選したんです。以来新潟には半世紀、いなかった。

衝撃ですね。つまり、最初は「県議会に女性がいないよね」という話から。

西村そうです。私に出馬をすすめてくださったのは関山信之さん、できたばかりの民主党県連代表だった方です。私は関山さんの政治スクールに呼ばれてお話ししたご縁から、つながりができていました。

どんなお話を。

西村国際協力についてです。私は当時、国際協力のNGO活動をやっていたので。

政治の世界に入る前、西村さんはNGOで活動をされていた。そして研究者でもあったんですね。

西村はい。学校で平和学や国際関係論を教えつつ、ボランティア活動もやっていました。実践と研究と教育。その3本柱でずっとやっていくつもりで、県議なんてそれまで想像したこともありませんでした。

西村智奈美さん

愚痴ってないで飛び込んでみようか

それまで選挙の応援をしたこともなかったんですか。

西村なかったです。でも、じつは私の父が町会議員を5期くらいやっていたんですよ。小さい町なので、それこそ数百票で当選するという。

じゃ、選挙はそう遠いものではなかった。

西村だからこそ私が「立候補しようかな」と言った時に、母親は大反対しました。選挙って、表で見えてるところ以外にいろんなことがあったんだと思うんですよ。でも決意したあとは応援してくれました。

その決意をした理由は何ですか。

西村ボランティアや教育、いろいろな活動をしてきて、行政に対して「なんでこうなんだろう」という思いはあったんです。それを友達と酒飲んでは話のネタにしてました。生まれ育ったところは自民党一色だったから、自民党の農政に「このままじゃ変わんない」とも思っていた。そんなふうに不条理を感じているんだったら、それを酒の肴で終わらせないで、いっそのこと自分が飛び込んでやってみようか、と

おいくつだったんですか。

西村32でした。

当選して県議になり、男女共同参画条例に携わったんですね。

西村そうです。1999年の統一選挙で当選した女性は私ともう1人です。私はその時独身だったんですが、本会議で自民党の男性議員から「西村さんも早く結婚して子供を持たれることを期待します」みたいなことを言われたり。

ああ、東京都議会での塩村あやかさんへのセクハラやじみたいな。

西村そう、おんなじ。それで私が自民党に抗議して。結果的に新潟県の条例は、男女「共同参画」ではなく男女「平等」という、一歩進んだ言葉を掲げることになりました。

地方の声、女性の声を届けたい

2003年に衆議院に初当選されました。

西村関山さんが引退されることになり、私その後の新潟1区候補者として立候補しました。

国会議員になってどんなことがしたいと思ったのですか。

西村まず「地方と中央の格差をなんとかしたい」という思いがありました。第一次産業が置いてけぼりになっている。それと、女性の置かれている状況を変えたかった。これは最初の県会議員選挙の時に、女性たちのチームから推されたことが大きく影響しています。働く女性、専業主婦、非正規の女性……さまざまな立場の人が「女性の思いを政治に届けてくれ」という思いで結集して、私という政治家が生まれたので。

西村さんの支持層はそもそも女性たちが中心だったんですね。

西村最初の選挙では3層でした。女性たち、それから労働組合、私のNGOやNPOのネットワーク。いちばん最初の選挙は、産湯みたいなものですよね。そこが出発点。

選挙のことで言うと、西村さんの得票数は、年によってすごく違いますね。

西村そうなんですよ。

たぶんそれは、国会で一生懸命仕事していることとはあまり関係性がない。

西村国政選挙は、政党への支持率や選挙の構図がとても影響します。

打越さく良。

やっていることがなかなか伝わらなくても

そこが切ないです。西村さんはすごく頑張っている方だと私は思っていたのに、2012年に落選。びっくりしました。

西村落選したのは政府で仕事をしたあとです。外務大臣政務官として外交文書の公開、核軍縮、気候変動、国際協力などに取り組み、厚生労働副大臣の時は、第2のセーフティネットを作ろうと、いまの生活困窮者自立支援法を作る審議会にずっと参加してたんです。あの法律を成立させて、ちゃんと予算もつけて、と思っていたのが、民主党政権じゃなくなったとたんに財務省が約束してたはずの予算をがばっと減らしたんです。もうそれが、痛恨の極み。

あー。

西村やっぱり役所って、政権の顔色を見ますから。自民党総裁選のせいで、感染症対策はこの1カ月あまり動かないだろうと思います。次の総理大臣が言うことと、いまやってることが整合しないと困る。だから官僚としては様子を見ちゃうと思うんですよね。

愚痴になりますが、私が昨日、厚生労働委員会閉会中審査で感染症対策について質問しても、大臣や官僚の答弁は「流してるな」という感じ。頭の中は総裁選ですか、みたいな。

西村そう。もう変わると思って。

メディアも、野党の質問や提案はほとんど報道しない。地元の声を聴いて永田町に届けているつもりなんだけど、大方の人には見えないという。

西村私もさんざん言われました。「何やってるのかわかんない」って。地元の声もつないで、たくさん質問して、たくさん法案も出してるその時期にも。チラシも作り、できる限りやっていても、やっぱりそう言われる。なかなか野党ってきびしいです。でも、やることはたくさんあるから。

政治家らしい話し方とは

研究者からの転身で、政治の世界にはすっと馴染めましたか。

西村すっと、でもないです。やはり全然違う世界ですから。

私は長いこと弁護士で、その前は少し研究もやっていました。で、2019年に選挙に出た時も、つい数字をあげたり「なぜならば」とか言いたくなっちゃう。さくっと5分くらいで話さなければならないのに、くどくどと。選挙では「〇〇なんだ!」と勇ましく言い切って、また次の場所に行くしかないと言われて「なるほどな」と思ったんですが。

西村わかるわかる。

研究者や弁護士マインドとしては細かく説明したい。言い切ることが苦手。

西村私も「西村君はいつまでたっても学校の先生みたいだなあ」と言われたことが(笑)。
最初は、自分で原稿書いてそれを言えばいい、と言われました。あと、1つの話の中で、言いたいことは3つまでに絞る。言いたいことが100あっても。

どうしたら政治家らしい話し方を身につけられるのか。いまだに慣れないです。

西村すっかり慣れたら、それはそれで、ちょっとまずいんじゃないですかね。

西村さんは堂々たるものじゃないですか。

西村とんでもない。もう毎回「どうしよどうしよ」と考えて、立ち上がった瞬間に「これでいこう」と。

西村智奈美さんと打越さく良。

コミュニケーションをあきらめない

政治の世界に入ってもうひとつ感じているのは、理解を得ることの難しさです。「これが正しい」と考えが固まっている方と、どうすればコミュニケーションがとれるんでしょう。言葉をつくして説明したくても、端から受け入れてもらえなかったり。

西村難しいですよね。もう100パーセントそうだと思ってる方の頭の中は変えられないと思うんですよ。だけど、「私はこう思っている。別の考え方もある。そしてそれは最終的に同じことを目指してますよね」という、そこは理解してもらえるんじゃないかと思う。

説明させてもらえる時間がないままに「失望しました」「国民投票法に賛成したりして、もう支持しません!」なんて一方的に言われて、つらい思いをしたりすることは。

西村ありますよ。でも、できる限りのことはする。民主主義って、いろんな意見の雲がうわうわうわ、と出てきて、重なり合うところを議論して結論を導き出そうということだと思うので。わかってもらう努力はする。それでもわかってもらえない時は、それはもうしょうがないです。

なんか私の悩み相談になってしまいました。すみません。

西村いやいや。

(つづきます)第2回へ

西村智奈美さん。

西村智奈美(にしむら・ちなみ)
1967年、新潟県燕市(旧吉田町)生まれ。新潟大学大学院法学研究科修士修了。大学や専修学校で教壇に立ちながら新潟国際ボランティアセンターの事務局長を務める。タイ、英国に留学し、訪れた国は36カ国。99年、新潟県議会議員に当選。2003年、衆議院議員初当選(新潟1区)。40歳で結婚、49歳で出産し子育て奮闘中。高校・大学では弓道部。