新潟県上越市の川谷地区は、棚田とブナ林が美しい標高300メートルほどの山間地。
そこに鴫谷幸彦さん・玉実さん夫妻の「たましぎ農園」があります。
1960年代には150世帯が暮らしていたこの地域に、いま住むのは20世帯ほど。
東京の出版社をやめて縁のなかった地に根を下ろし農業をいとなむお2人は、
何を思い、どんなふうに暮らしているのでしょうか。

ウガンダで痛感した主食を作ることの意味

打越まず、なぜ農業者になることを決意されたのかを伺えますか。

幸彦僕は農学部だったんですが、馬術部で馬に乗ってばかりで、ろくに就職活動もせず青年海外協力隊に行きたいと漠然と思ってました。卒業の時たまたま大学付属の農場に産休が出て、臨時職員として1年働いた。そのおかげで農業技術を教える青年海外協力隊員になれて、2002年に東アフリカのウガンダ共和国に行ったんです。

打越ほう。

幸彦ウガンダは赤道直下ですが標高1300メートルくらい。「アフリカの真珠」と呼ばれる住みやすいところで、年中春のようです。主食は青いバナナで、蒸すとマッシュポテトのようになります。で、このバナナがミソだった。

打越バナナがミソ。

幸彦バナナの木って株元に脇芽ができてくるので、穴を掘って移植すると大きくなる。収穫したら斧で切り倒す。だから、バナナ林は不耕起、土をまったく耕さないんです。切り倒されたバナナの木は牛や鳥が食べていく。

打越なるほど。

幸彦アグロフォレストリーという森林の体系に農業を組み込む考え方がありますが、ウガンダにはすでに循環型の農業があった。しかもバナナの葉っぱが紫外線や雨期の大雨から土を守り、豊かな土壌が流されない。そして耕さないので蒸発しない。砂漠化しないんです。とてもいい。

ところが開発援助は欧米型の農業で「土を耕してトウモロコシなど輸出作物を植えましょう」。それをやると、土が死んじゃうんですよ。そのことに途中で気がついて衝撃を受けた。その国の主食が地域の自然を守ってるんだと。

鴫谷幸彦さん。

50㏄に乗って全国の農家に会いに行く

幸彦日本では、それはお米だ。田んぼでお米を作ることが自然環境を守ると気づき、農業をやろうと決めました。帰国後しばらくはレタス農場でアルバイトしたり、中越地震のボランティアに入ったりしていました。

打越それから出版社に入られたんですね。

幸彦どこで就農するかが決まらなくて、農業系の出版社に就職しました。そこの新人は全員、50CCのスーパーカブに乗って全国を回り、農家に雑誌の定期購読を勧めるんですね。日本全国、1日10人から20人の農家の方と会う営業を年300日くらいやるので、2年たつと「ここで農業したい」というところがたくさん出てくる。それでかえって「ここだ」と決められない。もたもたしているうちに異動になり、農業雑誌の編集を4年やりました。

打越編集はどうでしたか。

幸彦やりがいは相当あったんですが、締め切りのある仕事なんで、かなり無理もしてました。3.11を赤坂の会社のビルで迎えたんです。停電で家に帰れず、コンクリートの中でいろんなこと考えるうちに「俺ほんとうは農業したかったよな。何やってるんだろう」。一念発起して、35歳でここに移住しました。

打越さく良。

「儲からない農業」に惹かれて川谷へ

打越川谷地区に決めた理由は何でしょう。

幸彦東京から川谷地区に来て就農された天明伸浩さんが、2010年に『転身!リアル農家』という本を出したんです。当時は渋谷のギャルが農業を始めて「農ギャル」と話題になったり。

玉実雑誌で「儲かる農業!」特集が組まれたり。

幸彦そんなブームの中で天明さんの本は地味でした。儲からない。家族と楽しく農業をすることが淡々と書かれている。それに惹かれたんです。それで天明さんを訪ねるうちに「空き家があるから来ないか」と。

打越それがここですか。

幸彦はい。最初に来た時は、ペンキはボロボロ落ちてくる、畳はぶよんぶよん。家を改修し、天明さんの「星の谷ファーム」で2年間研修を受けて、2014年に独立しました。

コンバインで稲を刈る幸彦さん。

給付金があったことで自分の農業スタイルを模索できた

打越新規就農が少ないなかで、鴫谷さんは定着されました。

幸彦運もよかったと思います。川谷に来たのが、当時の民主党政権が青年就農給付金を始めた年だったので、年150万円を研修中から独立後5年までもらえた。農家にならないと返還しなければいけないので、覚悟が決まったし。

打越最初から暮らしが立てていけたんですか。

幸彦きりつめれば、給付金で生活を保障してもらいながら自分の農業スタイルを探す余裕がありました。お米がメインですが、麦や大豆、野菜、いろいろ挑戦しました。

来た当初は、毎朝目が覚めた時、たまらない幸せでしたね。「今日は何をしようか」と。会社員時代と違って、自分の考えひとつで仕事を進められるのがすごくうれしかった。目を覚ました時には鳥のさえずり、夜は虫の声。どんどん体も心も健康になっていく感じがしました。

田んぼ。

日本の農村事情を知ってから国際協力に行くつもりが

打越ご結婚はいつですか。

幸彦2015年です。川谷に来て4年目、独立2年目。

打越農業をすることはお二人で相談して?

幸彦いや、同じ会社にいた頃はつきあっていたわけじゃなくて。農作業のイベントに何度か来てくれたうちの1人が彼女で、「好きになったから一緒に農業しませんか」と(笑)。

玉実私は国際協力に関心があって、学生時代に海外でフィールドワークをしたのですが、農山村で「日本では?」と聞かれても何も答えられなかったんです。それで日本の農村事情を知らなければと農業系出版社に入りました。いずれまた海外に行って国際協力の仕事をするつもりで。

打越なるほど。

玉実ちなみに私は全国を回る営業が非常につらかったです。農家の方に会うのは面白いんですけど、契約がまったく取れない。ノルマが達成できず上司から責められました。

打越笑顔だから営業成績がよさそうなのに。

玉実だめなんです。楽しくお話しして終わってしまう。最終的に事務に異動し、ほっとしました。だけど、だんだんギャップがしんどくなってきて。

打越ギャップというと。

玉実出版物は「土に触りましょう」「お料理しましょう」と作ることの楽しさを伝えているのに、社員の生活はかけ離れているわけです。休みなく仕事をして、体や心を壊していく。それで転職を考えていた時、元同僚から春の用水普請の案内が来たんですね。

打越用水普請?

鴫谷玉実さん。

ブナの芽吹きに誘われて、ここが大切な場所に

幸彦この地域の農業用水は、尾神岳のこんこんと湧き出る滝から採ります。春、滝まで岩を穿って作った用水路をきれいにして、水を引き入れることを用水普請と言います。その仕事が高齢化で難しくなってきた。そこでボランティアを募りました。「ブナの芽吹きを見ながら用水普請を手伝ってください」とSNSで発信したら。

玉実まんまとひっかかったんですよ(笑)。私は山が好きなんです。その年もGWに信越トレイルのブナ林に行くつもりでした。ところが雪が多くて峠が開いていない。そこへその誘いが来て、信越トレイルに近いし「ブナの芽吹き」って書いてあったので。

打越こちらへ来て、どうでしたか。

玉実まず自然の美しさ。ブナの新緑が最高の頃でした。そして、村の人のどっしりと落ち着いた感じ。「ああ、いいところだなあ」という第一印象を持ちました。

それ以来、川谷が気になる場所になりました。その後も「あの場所が夏にどうなってるのかな」「秋はどうかな」と田植えや稲刈りに足を運んでいるうちに、こういう暮らしも面白そうだなあと思い始めました。

用水普請。

(つづきます)→第2回へ

鴫谷幸彦さん・玉実さんと長女の柚希さん。

鴫谷幸彦(しぎたに・さちひこ)
1977年、千葉県柏市生まれ。東京農工大学農学部卒。青年海外協力隊でウガンダへ。出版社勤務後2012年、新潟県上越市の川谷地区に移住。「星の谷ファーム」で研修。2014年に独立。中高は剣道部、大学は馬術部。
鴫谷玉実(しぎたに・たまみ)
1983年、兵庫県神戸市生まれ。金沢大学で文化人類学を学びドイツに留学。京都大学大学院で地球環境学を専攻、ベトナムの山村で調査・研究を行う。出版社勤務を経て2015年、結婚と同時に川谷地区へ。趣味は山登り。