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第2回

vol.12_なんども転んで志は強くなった,打越、聴きにいく佐藤伸広さん_衆議院議員秘書vol.12_なんども転んで志は強くなった,打越、聴きにいく

2004年の中越地震で被災した佐藤さんは、消防団員として現場を走り回りました。
その経験が佐藤さんのその後の生き方にも大きく影響します。

「してもらった」から自分も行動したい

打越去年の夏、豪雨の被害にあった関川村でばったり会いましたね。

佐藤ああ、会いましたね。

打越伸広さんは元気にボランティアしてました。やはり何かあると「行かなきゃ」と思うんですか?

佐藤中越地震の時にボランティアしてもらった経験がいっぱいある。だから、自分にできることがあるなら行ってみようと思うよ。

うちの畳工場も、建物の柱が1本ずどんと抜けてトタンの外壁がはがれたんです。機械もあるし、にっちもさっちもいかない時に全国の商工会の仲間が10人くらいのチームでボランティアに来てくれた。専門的なことができる人は少ないから、職人が来てくれるとえらく助かるわけ。だから自分もきっと役に立てるだろうと思って。

打越それで被災があると行く。

関川村で会った佐藤さんと打越。

ボランティアの進化を関川村で実感

佐藤関川村でわかったのは、ボランティアセンターがうまく機能していること。中越地震の時は、ボランティアと村の人が対立してしまうようなこともあったんです。いまはボランティアセンターに登録すればきちんと保険も入れて、ニーズとマッチする行き先を紹介され、職員さんが送迎してくれたりする。皆にとっていい仕組みができている。

打越さまざまな経験を積んだから。

佐藤ボランティア文化の進化を見ることができたね。中越地震の時はマッチングもへちまもなかったから。

打越走りながら考えるしかない。

佐藤俺はこんな性格だから、ボランティアに行くとチームリーダーになるわけ。その場で20分もすれば「この人はこういうことが得意だな」とわかってくる。それで、それぞれに適した仕事を作ってあげる。そうすると被災者とボランティア両方から喜んでもらえるんです。

15票差で敗れた町長選

打越中越地震の後はどうでしたか?

佐藤災害があったから、川口町に国や県から大きな額の交付金が入ってきたわけです。そのお金の使い方に疑惑がたくさんあった。黒い噂が立って、町長と職員が対立し、被災地なのに政治がすごく歪んでしまった。

打越そうなんですね。

佐藤そんな状況を見せつけられて「じゃあ俺が町長をやるよ!」と思った。

打越ああ、町長選に出たのね。

佐藤疑惑を抱えた現職は出馬できず、町の課長さんと俺で町を二分する選挙になった。15票差で負けました。

打越うわ、一票の重み! 

佐藤さんと打越。

落選続きでも支えてくれた家族

打越ところで生活費はどうしてたんですか、そういう時。

佐藤厳しかったけど、女房が薬局の事務で働いててくれたんで、なんとかなりました。

打越「もう勘弁して」とか言われなかった?

佐藤言われなかったね。食うに食えなくて志だけ高くて、挑戦はするけどちょっとずつ届かない、という時期が長かったのに。

打越すごいですね。落選しても見守って支えてくれる。

佐藤すごいよね。彼女はとても周りに気をつかう人なんです。俺が能天気だから、彼女がかわりに気をつかってくれる。ずいぶん苦労させちゃいました。彼女がいなかったらやって来られなかったね。

打越ありがたいことですね。

佐藤これ以上は苦労をかけたくないんだけど。

二十代の頃の佐藤夫妻。

43歳、長岡市議会増員選挙で初の当選を果たす

打越市議会議員になったのがいつ?

佐藤43歳かな。最初に選挙に出てから7年たってた。2010年に川口町が長岡市に合併したので増員選挙があったんですよ。4人立候補して1人しか選ばれない。当選したけど任期が1年で、翌年の春にまたすぐ通常選挙。

打越疲れるー。

佐藤選挙って小さければ小さいほど骨が折れる。候補者4人、皆知り合いなわけですよ。

打越顔が見えるからこそ厳しい。

佐藤指を折って数えるような選挙。同じ家でも「じいさんばあさんはあっちだけど若手はこっちに」みたいな。ひりひりする感じ。
 
打越そこを制して市議になった。

佐藤当時は平成の大合併で地域のプライドを失わせるような話が喧伝されてたわけ。議会では「そんなもんじゃないだろう。胸張っていこうよ!」という思いで質問をしたよ。

市議会で質問する佐藤さん。

与党でないと仕事はできない?

打越そして1年後、通常選挙。

佐藤この時はじめて民主党という組織の支援で戦ったんです。それまで選挙を支えてくれたのは近所の人や商工会の仲間、中学の同級生で、党派性はゼロ。もともと野党マインドだったから民主党の党員ではあったけど。

打越へえ。

佐藤だから長岡市の議員になって、迷うことなく野党系の会派に入った。

打越「与党でないと仕事ができない」と言う人もいますが。

佐藤ちゃんちゃらおかしいね。県議会でも市議会でも、与党はぬるま湯の中で群れてるようにしか見えない。俺は言いたいことがある。それをでっかい声で言いたいんだ。

組織に属せば「こんな質問したらあの人が怒るよな…」ということはある。正直、野党系会派でもなくはないよ。それが、自民党の大きい会派なんかに所属しようものなら、あっちのしがらみこっちのしがらみで、言いたいことの半分も言えなくなる。それじゃあつまらない。

佐藤さん。

地域の人びとの声を拾って問題解決

打越市議としてどんなことをしましたか?

佐藤地域のさまざまな要望を聴いて問題解決するのが市議の醍醐味。「除雪路線を増やしてほしい」とか「堤防の嵩上げ工事を前倒ししてほしい」とか、いろいろやりました。市議の仕事は生活に密着してるよね。

打越議会で質問して。

佐藤いちばん大事なのは日々の入念な根回し。「これこれこういう理由でこの事業が必要です」と、あちこち説得して回る。

打越市議会は市民にとって身近で見えやすいですよね。それが県議になるとかなり変わってくる。

佐藤立ち位置が違う。県の公共事業もあるけれど、地域の課題ひとつひとつというより、もっと大きな方向性の話になります。
(つづきます)→第3回

佐藤伸広さん。

佐藤伸広(さとう・のぶひろ) 
1967年新潟県北魚沼郡川口町(現・長岡市)生まれ。小出高校卒。畳職人を経て参議院議員秘書。2010年、長岡市議会議員。2015年、新潟県議議員。2018年、立憲民主会党新潟県連幹事長。2021年より衆議院議員米山隆一秘書。趣味はスキー、プラモデル製作、映画鑑賞。好きな映画は『ゴッド・ファーザー』。好きな作家は司馬遼太郎。