第2回
政治家秘書になった高木まりさん。
選挙活動は楽しくて好きだったけれど、
じつは「政治は怖い」と思っていたそう。
その理由とは—。
地域と関わる仕事がしたい→政治家秘書
高木私は、地域の人と関われる仕事がしたいと思ってたんだよね。銀行時代は埼玉都民的な生活だったし。地銀や信用金庫だったら地域密着の仕事ができたのかもしれないけど。だからって「政治家の地元秘書がいいんじゃないか」って思うのもどうかと思うけど。
打越いや、そうでしょ。地域のことできるでしょ。
高木他にもいろんな仕事があるのに、思いついたのが政治家の地元事務所って。
打越ぴったりじゃないですか。それで枝野事務所のスタッフになった。
高木それまで選挙は関わってたけど、政治そのものは怖いと思ってた。
打越あ、そうだったんだ。
高木政治家秘書なんかになったら、悪い業界のおじさんに悪いことに加担させられるのではないかと。赤子の手をひねるように。
打越昔のドラマの見すぎではないでしょうか。
高木怯えながら入ったんだけど、全然そんなことはなく。
打越こっち側の人はなかなかそういうことはないですよね。
枝野事務所で学んだ政策のツリー
高木枝野さんの事務所で最初にやったのはボランティアコーディネーターね。事務所に来てくださった方にポスティングをお願いしたり。
打越よくやれたねえ。それまで采配を振るう側ではなかったのに。
高木楽しかったね。
打越あちこちからクレームやお叱りも来るでしょ。
高木政治についていろんなご意見は来るよ。そのなかで「枝野幸男さんはこういう意見なんです」と言ってわかってくださる人もいれば、わからない人もいる。それは意見が違うんだね、仕方ないねと思うから、ぜんぜんつらくはなかった。
打越枝野さんが言ってることは最初からいいなと思った? それともゆるゆるとわかってきた?
高木最初からいいなと思った。所属していた新党さきがけの考え方にも共鳴してたし。
当時、枝野さんは薬害エイズに取り組んでいて、活躍目ざましかった。事務所に入って話を聞くと、政策のツリーがものすごくしっかりしてる人だとわかってきたのね。新しいことでも「この法則に当てはめれば、この問題はこう答えが出る」というツリーができてる。すごいな、と思いました。
選挙の時は何も知らない私が地元を回さなきゃいけない事態になり、大変だったけど「枝野幸男、この才能が国政から失われてはいけない!」その強い思いでがんばりました。
さいたま市議で学童保育の環境を改善
打越枝野事務所で何年がんばったんだっけ。
高木7年。
打越そして2003年にさいたま市議。
高木枝野事務所からスタッフが選挙に出たのは初めてだったの。枝野支持者の皆さん、選挙区の方もそうでない方も「スタッフが出るのか!」って総出で応援してくださった。のちに枝野さんが「あれは国政選挙並の応援だよ」って。
打越じゃ上位当選?
高木トップ当選でした。皆さんのおかげで。
打越市議の時に取り組んだことは何ですか。
高木いろいろあるけど、たとえば学童保育の環境改善ね。当時は狭いところに子どもたちがぎゅうっと押し込められているような状態だったの。学童保育施設を増やして分離しなくちゃならない。なのに運営費がなくて、できなかった。それを改善すべきだと提案し、新しい場所を借りてスタッフもつけ、実現しました。
打越厚生労働の委員会だったの?
高木地方議員は1つの委員会にずっと所属するというより、いろんな委員会を経験するんだけど、私は希望してなるべくそういう委員会にいさせてもらってました。県議の時もそう。全委員会やったけど。
無投票選挙は寂しい
打越県議になったのはいつ?
高木2011年。震災直後の統一地方選でした。
打越県議選でも上位だった?
高木2位でした。県議選って、関心を持っていただくことがなかなか難しい。市議は身近だけど、県議は何をやってるのかわかりにくいんです。政令指定都市だとなおさらね。市議での実績を伝えながら、県議でやりたいことを訴えたけど、それまでの市議選で感じてきた手ごたえとは違いました。
打越でも2位。
高木最初ね。あとの2回は無投票。
打越ああ、それはそれで寂しい。
高木寂しい! 政策を皆さんに伝え、ご意見を聞く機会が失われるわけだから。公営掲示板も告示から何日かたつと撤去されちゃう。
声を聴き、提案し、実現する県議
打越県議の時、自分の質問が前進につながったことはあるかしら。
高木何から言えばいいかな……たとえば太陽光パネル屋根貸し事業。
打越屋根貸し?
高木たくさんある県有施設の屋根を民間事業者に貸して、再生可能エネルギーを作り出していこうと。県も収益がありWIN-WINになるし、どうですかと提案したら、「やりましょう」となり、展開してます。
打越うんうん。
高木それから防災。埼玉に地震が来るとしたら、津波は想定しなくていい。防災には家具固定がすごく大事。阪神淡路大震災では物が落ちてきて多くの方が圧死したり、火災が起きたりした。
ところが埼玉県庁の庁舎内が雑然としてる。それで「地震の時、県民を助けられる体制になっていますか」と質問したの。すぐ対応しますという答弁があって、家具固定され、きれいになった。それが家具固定サポーター登録制度につながり、県民へのアピールにもなってよかったなあと思ってるの。
打越それ、県の職員にも感謝されるんじゃない?
高木あと、がん対策基本条例の制定、埼玉県がんサポートハンドブックの作成も。がんになった時どこで相談できるか、全国版はあったんだけど、地域のものがなかった。お金がなくて印刷はできなかったけど、ネットからダウンロードできます。
100年後を見据えて公園のグランドデザインをつくる
高木それと、大宮公園のグランドデザイン。明治18年にできて皆に愛されてきた、県立公園第1号。なのに毎年の維持費しか予算がつかず、施設も老朽化して残念な状態になっていた。
現代の私たち、未来の人たちが楽しめる公園にしたい。50年後100年後を見据えたグランドデザインを作り、そこへ向けたリニューアルをしませんかと提案したところ、当時の上田知事が採用してくれました。大野知事がさらに上乗せする構想を出してきています。
打越そういう提案ってどこからヒントを得るの? 県民の皆さんと話していて?
高木大宮公園は地域の人の声が大きかった。ボート池にガマが生い茂り、桜の寿命も心配、売店も県の建物だから手を加えられなくて。どういう方法があるかなあと調べていたら上野公園のグランドデザインがあって「これは参考になる!」と。
打越地域と関わる仕事がしたいという思いで政治の世界に入り、市議、県議と活躍してきたわけでしょ。国政を目指そうと決めたのはなぜ?
高木地域密着の仕事はほんとにやりがいがある。だけど、すごくがんばっても自治体では解決できない、というのを何度も経験して。そのうちの1つが医療。「埼玉県は人口当たりの医師数が全国最低」という問題。東京の半分ですから。
(つづきます)→第3回へ
高木まり(たかぎ・まり)
1967年東京生まれ。幼少期を栃木県で過ごし、12歳から埼玉県で暮らす。浦和(現・さいたま)市立常盤中学校からお茶の水女子大学付属高校に進み、東京大学法学部卒業後、東京銀行(現・三菱UFJ銀行)に勤務。1996年、枝野幸男秘書。2003年、さいたま市議会議員に当選。2011年、埼玉県議会議員に当選。夫(前衆議院議員高木錬太郎)と高校生の女子、中学生の双子男子の5人家族。趣味は裁縫とマンションでのガーデニング。
高木まりホームページ