声をあげるのは楽しいこと
2015年、集団的自衛権行使を認める安全保障関連法案に反対して国会デモを展開したSEALDs。声をあげたことを後悔する若者を取り上げた新聞記事2023年5月2日「「隠したい」元SEALDsの過去 若者の声を封じるものは」にネット上で批判があがりました。
しかし、注目すべきは記事の最後の「声を上げて攻撃されるのは怖い。でも、沈黙する社会の方がもっと怖いですよね」という若い人の声ではないでしょうか。
記事には、弁護士の久道瑛未さんも紹介されています。
現在弁護士会の憲法問題検討委員会に所属する久道さんは、以前私と名刺交換した際「SEALDs TOHOKUの元メンバーです」と自己紹介してくださいました。
SEALDsの過去を自分のアイデンティティとして大切にする人は、久道弁護士以外にもいるでしょう。
小泉今日子さんらが3年前 #検察庁法改正案に抗議します と声をあげ、大きなうねりになりました。
国会議員の私にとっても、あの経験は大きなものがありました。
国会内で数の力は負けていても、世論の力があれば、法改悪を押し留めることができると実感できました。
2年前の入管法改定案をめぐっても、小泉今日子さんらが、#難民の送還ではなく保護を とツイートしたことなどから、国会内で野党は少数でも、入管法改悪阻止に踏ん張ることができました。
小泉さんが意思表示をするようになったのは、SEALDsの若者たちの声に耳を傾けてみて「若いころそんなことしてこなかったな。ごめんよ、残りの人生、意思表示する姿を少しでも見せて行かないといけないな」と責任を感じたからだと、朝日新聞デジタル版2023年5月4日のインタビューで語っています。
膝を打ちます。
私も同じだからです。
「やれやれ、ダメだなあ」と世の中をナナメにみながら、でも何か批判されたらおっかない。
そう怖気づいてアクションしないことが後ろめたかった。
そんなことを知人に話していたら「いやいやあなたは死刑廃止や難民保護、ずっと運動していたでしょ。弁護士としても夫婦別姓訴訟団。バリバリじゃない」と言われました(汗)。
いや、なんというかそれでも路上で意思表示はしていなかったし、「弁護士です」「識者です」然としていたなあと思うわけです。
それだけでいいんだろうか、と政治に踏み込んだきっかけの一つが、SEALDsの若い人たちのアクションでした。
「攻撃的に来る人たちもいるだろうけど、それに耐えられるぐらいの厚かましさを持っているぞ、っていう気持ちです」と小泉さん。
よっしゃ、まさにそれこそ「不断の努力」(憲法12条)。
私もがんばります。
ところで、勇気ある少数の人が耐えている感じだと、ひるませてしまうのかもしれないなあと思うこともあります。
実際、先述の知人からは「正義のために耐え難きを耐え働き続けているあなたは気の毒に見えるよ」とも言われました。
え。まずい。
「物申す」「連帯する」は、実のところ悲愴ではないんです。
社会をより良くしたいと、わいわい声を上げるのは楽しいこと。
たとえば部活で、どうせ弱小チームだからと初めから諦め、練習しないで試合放棄しては、つまらない。
それぞれの個性を活かして知恵を出し合い、わいわい相談して大きな相手に立ち向かうって、面白くないですか?
楽しさ、伝えていきたいです。
(2023年5月7日)