戦争「責任」をどう考えるか(noteより)
「戦争責任を問われても、戦後生まれだから関係ない」といった言葉に違和感を覚える方は少なくないのではないでしょうか。
私自身も長く違和感を覚えながら、うまく言葉にできないもどかしさを抱えてきました。
そんなときに出会ったのが、アイリス・マリオン・ヤング『正義への責任』(2014年、岡野八代・池田直子訳、岩波書店)です。
初めて読んだとき、心の奥を揺さぶられ、涙を流すほどの感動を覚えました。
そして朱喜哲氏の考察を読み、あらためてこの本を思い出しました。
この記事は、8月19日の沖縄タイムス(「構造的不正義を憎み正す 社会に関わる一員として 戦争『責任』の在り方」)に掲載され、その後27日の新潟日報(「戦争の『責任』 未来志向で市民が担う 被害と加害 線引き難しく」)にも掲載されています。
10年ほど前に当時所属した法律事務所のホームページに載せていた書評(今は閉鎖しています)を、ここに再掲します。
構造的不正義と責任
ヤングが扱うのは「構造的不正義」です。
貧困や差別など、制度や社会の習慣が積み重なって生まれる不正義。誰か一人を指して「あなたの過失だ」と言うのは難しい。しかし、その被害は確かに存在します。
日本では「自分は戦後世代だから戦争を反省する責任はない」と言い放つ政治家もいます。
しかし、それは看過できない態度です。問われているのは刑事責任ではなく、現在の構造的不正義を直視し、未来を変えるための政治的・社会的責任のはずです。
私自身、法律家として慣れ親しんだのは「帰責モデル」──加害者の過失を特定して責任を問う枠組みです。
しかしこのモデルには限界があります。加害者を見つけられなければ責任は問えず、見つけても「それ以外は関係ない」と思わせてしまう。必要な変化につながりません。
ヤングが提示する「社会的つながりモデル」は違います。
私たちは社会の一員として、日々の行為を通じて不正義の再生産に関与しています。だからこそ、その是正に責任を分かち持つ。罪を追及するためではなく、未来を変革するための責任なのです。
構造を問う
現実には、不正義をもたらす構造の中で特権的立場にある人々と対面したときの難しさがあります。
ストライキ中の労働者に声をかける会社の最高顧問。
立ち退きを迫られる住民の集会にやってくる土地整備の担当部長。
彼ら彼女らは思いやりがあり、ユーモアもあり、耳を傾けてくれる。実際に会うと「魅力的で尊敬できる人だ」と感じてしまう。抵抗の意思が萎えてしまいそうになる。
しかし、魅力的な人ということと、彼ら彼女らが構造的不正義の中で果たしている役割とは別問題です。
だからこそ、相手を「非人間化」して攻撃するのではなく、必要な追及や批判を控えてはならない。必要な追及や批判とは、説明責任を求めるということであって、悪意を向けたり、傷つけたりするのとは違います。説明責任を果たさせることこそが必要なのだとヤングは教えます。
構造的不正義に加担する人を「非人間化」して攻撃しても、不正義を解消するための行動にはつながらない。
誰がどう関わり、不正義を再生産しているのかを見極め、説明責任を果たさせることが欠かせません。
行動が社会を変える
ヤングはまた、変化を実現した具体例として「反苦汗工場運動」を紹介します。
この運動では、GAPやナイキ、ディズニーなどのブランド企業、ウォルマートといった小売業者に対しても、劣悪な労働環境への責任を問いました。
彼らは工場経営者ではなく、法的に直接の責任は負いません。
しかし、多くの市民は「消費者や大学、自治体も責任を分かち持つべきだ」と考え、抗議や啓発活動を展開しました。
その結果、企業は行動規範を導入し、労働条件の改善に取り組むようになったのです。
直接の加害者でなくても、構造的不正義を軽減する責任を分かち持ち、実際に変化を起こすことができる──その事実は大きな希望を与えます。
過去と未来をつなぐ責任
ヤングは、過去の不正義にただ固執するのではなく、現在と未来をどう変えていくかに目を向けるべきだと説きます。
もっとも、歴史を軽視してよいわけではありません。現在の構造的不正義は過去に根ざしている──だからこそ、その歴史を直視することが改善の出発点になるのです。
この視点は、日本が抱える戦争責任の問題の「解決」を考える上でも大きな示唆を与えてくれます。
世代を超えて、現在の私たちがどう責任を分かち持つかを問い直す枠組みを示しているからです。
ヤングの遺作として
研究書を読みながら涙を流すことは滅多にありません。けれども本書を読み進める間、私は揺さぶられ続けました。
「責任がある」と気づかされつつも、途方に暮れる必要はない。
責任を分かち持つことは、未来を拓くために行動できることでもある──そう気づかせてくれたのです。
翻訳も平易で、遺作となったヤングの切実な願いが伝わってきます。
彼女が最後に示した「社会的つながりのモデル」という新しい責任論は、戦争責任をどう考えるかという私たちの問いにも深く響きます。
⸻
朱さんの新潟日報での考察を読み、あらためて思います。
過去に目を閉ざすことなく、未来に向けて不正義を変える責任を、私たちは分かち持っているのだと。