憲法施行から74年・これからも不断の努力
中学生のころだったか、授業で憲法に出会って、感動しました。何度も繰りかえし読み、「暗唱」できる域に達した条文はいくつもありました。とりわけ、前文、11条、12条、97条。読むたびに、崇高な理念に打ち震えました。
戦争の惨禍は、個人を尊重しない政治の行き着く残酷な結果であり、忘れてはいけない過去。基本的人権の保障や民主政は所与のものではなく、さまざまな努力・闘いの歴史の成果。しかし、不断の努力をしなくてはすぐ侵されかねない。忖度し分をわきまえるばかりではあっという間に制約され奪われかねない。そうして現在の私たちが努力していくことが、民主政を維持し、将来に託し、将来の人々の人権保障にもつなげていける。と、そこまで中学生のころ考えたかはともかく、当時から今に至るも、過去・未来への責任まで感じる条文の数々を読むたびに身が引き締まります。
「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」(前文)、
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」(11条)、
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」(12条)、
「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」(97条)
中学生のころは、憲法が大好きだったとはいえ、「抽象的な高尚な理念が掲げられたもの」と受け止めていました。
弁護士を経て参議院議員となった今の私には、憲法はもっと具体的で現実的。
かつて岩波書店編集部編『私にとっての憲法』(2017年)に寄せた拙文のとおり、第一次夫婦別姓訴訟弁護団事務局長等の経験から、憲法は高尚な建前として飾っておくものではなく、差別を解消するツールである、と思っています。確かに、第一次訴訟の結果は敗訴でした。しかし、大法廷判決の15人の裁判官中ただ一人違憲のみならず違法とも認めてくださった山浦善樹元最高裁判事が、判決が読み上げられた瞬間に失望の表情を浮かべた原告や私を含む弁護団に、法壇の上から、「あなたは多くの人を勇気づけましたよ」と声をかけたい衝動にかられたことをある記事(朝日新聞デジタル2016年11月24日、市川美亜子記者)を読み、そうだ、私たち弁護団原告団だけではなく、応援してくれた無数の人たち(多くは女性たち)の不断の努力、この闘いの成果はさらに多くの人たちの勇気ある努力につながり、いつか実を結ぶ、と励まされました。
感染症禍のさなか、参議院議員として、社会福祉・社会保障、公衆衛生に係る国の使命を掲げる憲法25条、恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を掲げる前文をとりわけ重くかみしめる日々です。感染、医療体制の逼迫、生活の困窮、孤立など、さまざまな不安が広がっているのですから。とりわけ弱い人たちにダメージが大きくあらわれています。昨年女性の自殺者が増えたことは、その痛ましいあらわれです。非正規雇用の女性たちがまず仕事を喪う。ステイホームといわれても家庭が安全でないDV被害者たち。
政治は、弱いところにとりわけ目配りして手当するべきなのに、自公政権は、むしろ、積極的に女性を差別し痛手をさらに深くもさせました。たとえば、特別定額給付金の受給権者を世帯主としました。これは、夫婦世帯、夫婦と子世帯のほぼ100%の世帯主が男性である現状で、積極的に女性差別したのと等しいです。また、昨年の春安倍前総理が全国一斉休校をしたことが、女性たちの仕事を続けられなくした影響も明らかになっています(内閣府有識者会議が4月28日に丸川大臣に報告書を提出)。
速やかに入国制限をする、ワクチン接種体制を整える、など、迅速さが求められるのに、無残なまでに後手後手。それどころか、GOTOトラベルなど感染拡大を惹起し、緊急事態宣言の発令の時期を逸したり、変異ウイルスの拡大状況を無視して早期解除。こうした行き当たりばったりな行政では、憲法25条の責務を果たしているとは到底言えず、国会はこうした行政を監視し透明性を確保するよう求めなくてはいけません。ところが、国会の中から、全く逆向きに、緊急事態条項の創設を主張する意見まで表明されており、驚くばかりです。感染症禍に乗じて、国会の関与をできるだけ弱め、政府による権限や政策決定の裁量を拡大強化させようという狙いで、緊急事態条項の創設が主張されることは、議会人としての矜持を捨て去ったも同然です(4月28日の参院憲法審査会の自由討議で述べた意見はこちらです)。
各世論調査から、「改憲が必要」とする割合も高くなっている傾向が見受けられます。しかし、たとえば9条については「変えない」が61%。憲法を変える機運がどの程度高まっているかについては、「大いに」「ある程度」を合わせた「高まっている」は19%にとどまり、「あまり」「まったく」を合わせた「高まっていない」は76%に上ります(朝日新聞5月3日付朝刊)。あえて「改憲が必要か」問われたら、「古くなったから」必要と答えるけれども(「改憲が必要」と答えた人の理由の2番目、46%)、今すぐ必要とは考えていない人がほとんどです。
国民のほとんどは、感染症対策や、感染症で痛めつけられた暮らしに対する手当に関する議論を期待しているはず。まさか国会に対し、それらの議論を放り出して、改憲論議を急げと思っている国民はいないはず。それなのに、世論調査を都合よくつまみ食いして、改憲論議を急ぐような国会であっていいわけはありません。
立憲野党があまりに人数が少ない国会ですが、連休明けも、不断の努力、頑張ります。
(2021年5月3日)