新潟市江南区の「えんでばよこごし」には、いろんな人がやってきます。
講座やイベントに参加する人、畳で子どもを遊ばせながらおしゃべりするお母さんたち、駄菓子を買う小学生、リモートワーカー。
ハンドメイド作品や地元の名産品、野菜が並んで店内はにぎやか。食堂もあります。

運営するNPO法人「えんでば」代表の山本美幸さんは、「交流の場所が必要だから」ここを作ったと言います。
ミシン修理の達人でソーイングのワークショップもおこなう、元気な山本さんのストーリーです。

いつもミシンが一緒だった

ここで売ってる亀田縞の雑貨が素敵だけど、美幸さんが作ってるの?

山本そう。亀田縞は地元の特産品で、いったん途絶えたけど2000年代に復活したの。もともと野良着用の丈夫な生地だから長持ちするし、味があるよね。大事に伝えていきたくて亀田縞を使ったミシン教室をやってたら「ソーイングはできないけどそのバッグがほしい」という人が何人もいて。

それで亀田縞ブランド「ENDEBA」を立ち上げたのね。

山本ブランドって、タグ縫いつけただけだけど(笑)。 

亀田縞の手作り作品が並ぶ店内。

そもそもなんでミシンが好きなの?

山本私、小さいとき肥満児だったの。だから大きいサイズの服を買って母がミシンで丈詰めしてたのね。母は友達に頼まれると夜なべしてカバン作ったりもしてたから、いつもうちではミシンが出てた。それで興味を持って、お人形の服とか縫い始めて。その小学校6年の時から使ってるミシンはすごく使いやすくて、いまだに使ってる。

へえ、すごい。

山本作品が完成するとうれしいし、愛着がわく。それでミシンが好きになったんだよね。友達に袋作ったり、高校生になるとスカートの裾上げ頼まれたり、体育祭で応援団の衣裳係したりしてた。

自分で手をあげて?

山本そう。女子のスカートはゴムで簡単にできるけど、男子のは難しいでしょ。「丈の長いテーラージャケットに赤いラインで」なんて言うから、放課後うちに集まって「私が縫うからみんな切って! ボンドで赤いテープ貼って!」って皆で作ったよ。

山本美幸さん。

提案型新入社員の末路

でも最初についたお仕事はソーイングとは関係なかった。

山本大学中退して、ジャスコやドトールでバイトしてたの。高校が商業科で簿記の資格を取ってたから「将来は事務や経理の仕事につけたらいいな」と思いながら、若いから夜シフトで昼は寝てるフリーター生活。ついに父親に「いつまでそんな生活してるんだ。ハローワーク行きなさい」と言われて、電気工事の会社に就職したのが20歳頃かな。

うれしかったですか。

山本うれしかったですよ。選ばれて正社員になれた。固定給も社会保険もある。勉強しようと思いました。ところが、事務員さんというものは笑顔で「はい」と言って、言われたことをやるものなのに。

なのに。

山本私は工夫をしてしまうんですよ。たとえば材料の管理。それまでは「ケーブルを何メートル、コンセントを何個使いました」というのを、現場から戻った作業員さんが報告書を作って事務所に提出していた。それが面倒だと言うので、表を作ってドアに貼り、朝出る時に記入するようにしたの。

なるほど。

山本社長に褒められた。「山本君、すばらしい。おかげで現場の人間も楽だし、月末の請求も出しやすくなった」。

うんうん。

山本ところが社長の奥さんが「許さない!」。

え、なんで?

山本前例を踏襲しないから。8カ月目に奥さんに呼ばれて「経営者が従業員を解雇するっていう言葉、知ってる?」と言われ、21歳の私は「それはクビという意味かな。私、なんか悪いことしたかな」。若い人がどんどん提案するのはよくない、ということを知らなかったわけ。

よくなくないけどね。いいことだけど。

山本会社をやめて離職票見たら「自己都合」って書いてあった。

そ、それは法律相談に。

山本今なら行くけど、その時はそんなこと思いつかない。

打越さく良。

保険証がないならプロポーズしよう

山本そのあとすぐ建設会社に就職できて、会社に行きながらマクドナルドでバイトしました。

会社に行くだけでも疲れるのに、なんでマクドナルド?

山本いっぱい稼ぎたかったの。ブランドものが欲しい時期が来て(笑)。ヴィトンもフェラガモも稼げば買えると。でもその会社も先輩とあわなくて27歳の時に退職。つくづく飛び出てしまう人なんだなあと反省してるけど。

それから就職活動するんだけど、今度はなかなか決まらなかった。このままでは保険証がない、どうしよう。「そうだ、今つきあってる彼と結婚すれば扶養家族になるから国保に加入しなくてもいい!」と気づいた。で、すぐ「結婚してくれ」と言ったの。

ははは、その展開おかしい。いつかは結婚しようと思ってた?

山本思ってたけど、きっかけがなかったわけ。で、2月9日がつきあいだした日だから、その日に入籍しました。

2月9日。よく覚えてますね。何年前?

山本1993年の2月9日。高2の時。

どっちが言いだしたの?

山本私。「どうかどうか私とつきあってください」って(笑)。彼は好きな子がいたんだけど、ちょうどふられたらしくて。

その隙に。

山本それまでも何度か言ってスルーされてたんだけど、あきらめず(笑)。

店内につるされた折り鶴。

ミシン会社で〈つながり〉に目覚める

山本扶養家族になれたところに、妹が求人広告見つけて「ミシン販売会社が事務員さん募集してるよ」と教えてくれたの。

運命の出会い!

山本はじめは受付兼事務員。ところが「ミシン修理の技術を覚えたい。人と話すのが好きだから営業もしたい」という気持ちが抑えられない。1か月後に営業に職務変更を申し出たら、店長が「そう言うと思ったわ。いいよ」って。

言ってみるもんだね。

山本ここからが面白かった! この仕事で、人のつながり、ご縁というものが好きになったの。「あなたに修理お願いしたい」「あなたからミシン買いたい」と、お願いされて売り上げが上がる。商売は人のつながり、ご縁なんだ、気持ちの部分が大事なんだ。そう知ってしまったから楽しくてしかたない。ずっと続けたいと思ってたんだけど……5年めかな、まもなく出産という時に会社が倒産しました。

あー。

山本それで、長男を出産して1年くらいしてから、建設会社のパートに出た。行ってみたら、そこは税理士さんが入っていなくて前任の方が自分流にやっていた。「これは立て直さねば」と思って民商に行ったの。

民主商工会。小企業が経営のことを相談できる場所ね。

招き猫の寿ちゃん。

小さな商店の元気がまちの元気に

山本そこでいろんなことを学んだの。収支内訳書作成も許可証の更新も「山本さん自分でやればいいよ」と民商の人がすごく後押ししてくれて。その時に「小さな商店の活性化がまちの活性化につながるんだ」ということを教えてもらいました。

それと並行して、ミシン会社がつぶれたあとも、常連のお客さんからよく電話をもらって行ってたわけ。「山本さんミシン見て」「いまミシンの仕事してないんだよね」「それでも私のミシン見て」というので(笑)。それで、ある時お客さんが「山本さん、せっかくミシン修理の腕があるんだから、自分で仕事にしたら?」とアドバイスしてくれたの。

うれしいですね。

山本それで「ミシンの友愛」をオープンしました。といってもフリーダイヤル開設してチラシ作ったくらいで、店舗もない会社だけど。最初は2足のわらじだったんだけど、建設会社が閉業して、ミシン1本になりました……こんだけ喋って、まだ「えんでばよこごし」にたどりつかないけど、いいの?

どうぞどうぞ。
(つづきます)→第2回へ

小学生のころから使っているミシン。
山本美幸さん。「えんでばよこごし」前で。

山本美幸(やまもと・みゆき)
1974年富山県生まれ。4歳から新潟市在住。加茂暁星高校卒業後さまざまな職場を経て、2011年「ミシンの友愛」を開業。ハンドメイドのイベント主催や被災地にミシンを送る活動を通じて多くの人とつながり、2014年に交流の場「えんでばよこごし」をオープン。男子2人の母。趣味はおしゃべり。