第3回
苛烈な政界でも前を向いて。
よく食べて、ちゃんと寝て、普通の感覚を保つ。
そして実現したいのはどんな社会なのでしょう。
野党の提案もいつかは実る
国会議員になって何年ですか。
西村2003年の11月から……16年もやってる!
—もうやめたいな、と思ったことはありますか。
西村そこは常に前向きで、どうやったらいまやっている仕事がうまくいくか、どうやったら前に進むか、そういうふうに考えてきました。
—いわれのない中傷で嫌な思いをしたり。
西村やだな、と思うこともあるけど。
—どうやってリセットするんですか。
西村うーん……食べて、寝る? すっごい原始的ですけど(笑)。めげる時もありますよ。でも、続けることだと思います。「女だからすぐやめちゃったよ」みたいに言われるのも、しゃくだし。
—せっかく作った法案も、いろいろ修正されてがっくり、ということも。
西村それはありますが、野党の提案って、じつは政府のほうもよく見てるんです。こっちから法案として提案したもの、委員会で質問したことが、何年か後でかならず審議会のテーマになる。だから、決して無駄ではない。そこは自信もってやり続けていいと思います。
—それが結局与党の手柄になっちゃって「ん?」ということも。
西村それはあるんですけどね。
安心して生きていける社会を
—感染症禍で、地元の方々の様子はどうですか。
西村切実です。「よろしく頼みます」って言われる。「コロナ対策、なんとかやってください」って。
—こんなに長引いちゃって。選挙してる場合か、と思うけども。
西村時期が来ちゃったし、しなきゃならないし、このままでいいとも思えないし。
—政権交代したら何をしたいですか。
西村誰もが安心して生きていける社会をつくりたい。地域経済を足もとから回していくためには、働く人の賃金を上げて消費に回るお金を増やし、内需を冷やさないことです。
—アベノミクスはトリクルダウンを謳いました。富裕層や大企業が潤えばその下の層にも富が落ちる、という。
西村まったくそうはならなかった。株価は異様に高止まりしているけれど、実質賃金は低下しているんですからね。そして女性が多い介護や保育の現場ではまだまだ賃金が低く、人手不足が常態化して。
—「エッセンシャルワーカーの皆さんありがとう」って言われても。
西村口先だけじゃどうしようもない。その人たちがいるからこそ生活が成り立っているのに。福祉現場の待遇改善など、すでに法案を提出していますが、実現すれば地域経済にかならずよい影響をもたらすと思います。
竹垣でバーレッスンする少女
—西村さんは燕市、もとの吉田町のご出身ですね。
西村そうです。農家の生まれです。
—じゃ、農作業もやってました?
西村しましたよ。コメ農家だったので、稲のはさ掛けとか。すっごいチクチクするんですよ。田植えの時も手伝いに行くんだけど、手伝いより、じっとあぜ道で足元のいろんなもの見てた時間が長かったかな。
—当時から研究者モード(笑)。
西村いま農業は弟がやってくれています。
—小さいころは何になりたかったですか。
西村バレリーナ。
—え! 今明かされる真実。
西村たぶんテレビで見たのかな。だけど田舎で習いに行くとこもないから、竹垣の横棒につかまって、一人でバーレッスンしてた記憶がある(笑)。
それでバレリーナは無理かも。中高生の時は何になりたかったですか。
西村あまり考えてなかったかな。漠然とだけど、社会のための仕事、とは思ってました。
社会貢献。まさにそうなりましたね。
東南アジアでカルチャーショック
西村さんは36カ国に渡航経験があって、英語とタイ語が堪能です。タイ語はどうして勉強されたんですか。
西村大学3年の年末から年明けにかけて、国際関係論のゼミ旅行で東南アジアに行ったんです。シンガポールとマレーシアとタイに3週間。そこで鮮烈なカルチャーショックを受けました。日本で当たり前だと思っていたことが全然当たり前じゃない。それで、1年休学してどこかへ行こうと決めました。でも1月に決めても4月から受け入れてくれる大学があるわけもなく(笑)。
—思い切りがいいですね。
西村指導教官に相談したら、「タイの語学学校だったら行けるよ」というのでタイへ。まったくタイ語ができない状態で行きました。
—そうなんですか!
西村はい。でも最後は新聞が読めるようになりました。
—いまタイ語を使う機会はありますか。
西村ないですね、タイ語も英語も。タイの議員が来た時おしゃべりして喜ばれるくらい(笑)。
他の世界を知っていることの強み
—でも平和学や国際関係論など、勉強していたことがふと、いま役に立ってるな、ということはありますか。
西村多角的に物事を比較しながら見ることができるようになったことは、今の仕事に生きていると思います。いま目の前にあるもの、自分の置かれている環境を絶対視しないというのは、あるかなあ。
—私も回り道したけど、大学院で勉強したこと、弁護士としていろんな人と知り合ったことが、いま役立ってる気がします。違うところでの経験、人脈で解決することも多い。
西村そうですね。
—何の経験でも生きてくる。もちろん世襲議員でがんばっている人もいるけど、若い時から政治ひとすじというよりも、違うことをやった方がいい気がします。
西村選挙は「地盤・看板・かばん」、つまり地元組織、知名度、お金が大事と言われますよね。二世三世の人は、概してそういうものに恵まれていると思うんです。打越さんや私は、それがないところでやってきている。そういう立場から社会を見て国会で仕事する人は、必要だろうと思いますね。
どんな時でもきちんとお腹はへる
—何も知らずに選挙に出てしまった私。
西村参議院は全県1人区でほんと過酷だもの。よく打越さんが受けてくださったと感謝してますよ。
—いま思うとすごい度胸でしたね。素人の恐ろしさ。西村さんは選対本部長をしてくださって。じつは慣れない選挙運動でボロボロだったんですが、西村さんの「腹へったー。次何食べよ」というのどかな声には励まされてました。なんであんなに腹へるんですか。
西村なんでだろ。腹すかしなんですよね。
—食欲がなくなる時はないんですか。
西村食欲がなくなる時……(しばし考え込み)……ないかなあ。ちょっと胃が痛い時があっても、時間になるとちゃんとお腹がすく。
—いっしょに市内を回ると、西村さんの予定表には「お昼 ○○」と食べる予定のお店がきちんと書いてある。
西村そこ重要なんですよ。
―それで大盛り。
西村そうですね。今日もそば大盛りにしてもらった。
ゆがんだ政治を正したい
—最後に、今後の抱負を伺います。
西村いま日本の政治はゆがんでしまっている。それを変えたいと思います。嘘つくことが当たり前だと思われて、公文書の改竄や偽造があっても誰も「すみません」とも言わないし、総理大臣が嘘ついても誰もとがめなくなっちゃった。これが当然視されるのは本当にまずい。平和の問題や気候変動の問題も、これではまともに議論できません。政治家は、ゆがみを正す姿勢を見せないといけないと思っています。
そして、お金の使い方。目先のことも大事だけど、次の時代のこと、子どもたちのことを考えて、適正な予算の使い方をしなければ。真剣な議論が必要です。
—政治家になる時に、女性たちに推されたというお話でした。その女性たちの状況はいまどうなっていますか。
西村よくなっていないし、むしろ感染症禍で悪化しています。180万人の非正規女性が実質的に失業してしまった。町の中を回ってても「シフトが減った」「収入が減った」と聞きます。そういう構造を変えていかないとならないと思います。私たちが出した「同一価値労働同一賃金法案」はいま棚ざらしになっていますが、成立させたいです。
新潟の女性は就労率が高いです。だけどなぜ人口減少しているかというと、賃金の地域差の問題がある。本来、新潟は働きやすく住みやすいところなので、足かせになってるものがあれば一つでも二つでも改善していきたい。それが女性のためでもあるし、新潟の将来のためでもあると信じています。
―よっしゃー。
西村がんばるぞ。
―がんばるぞ。情熱が変わらないのはすごいです。私も変わりませんよ。
(おわります)
〔2021年9月/取材協力 cafe Välme〕
インタビューを終えて■打越さく良
女性がより生きやすい社会にしたいと弁護士としてロビーしていた当時、「頼りになるいい議員がいるよ」と評判を聴いていた。まさかの落選をしていた間も衆議院議員に戻ってからも、西村さんはコツコツ地元のみなさんの声を聴いている。
成果をドヤ顔で与党の手柄にされても、西村さんは前進できて良かったと淡々と受け止められる。いやこれは普通のようですごい。「私こそが!」と前に前に出がちな議員が多い中、稀有な人物。手柄を焦らないけれど実りは得る方だから、超党派の議連で辛抱強く交渉する縁の下の力持ちを任されるのだろう。
地方と中央の格差をなんとかしたい。女性の思いを政治に届けたい。
淡々としているようで、西村さんの情熱は一貫して熱い。
私は、つい義憤に駆られ力が入りやすいが、政治の先輩である西村さんはふと「腹へったー」とのどかに力みを抜く。長くしっかり働くためにはそれもコツか。見習います。
西村智奈美(にしむら・ちなみ)
1967年、新潟県燕市(旧吉田町)生まれ。新潟大学大学院法学研究科修士修了。大学や専修学校で教壇に立ちながら新潟国際ボランティアセンターの事務局長を務める。タイ、英国に留学し、訪れた国は36カ国。99年、新潟県議会議員に当選。2003年、衆議院議員初当選(新潟1区)。40歳で結婚、49歳で出産し子育て奮闘中。高校・大学では弓道部。