第2回
「こんな時に、被災地の人たちに申し訳ない」という思いをぬぐえなかった山本さんですが、ミシン修理の腕が思わぬところで役に立つことに。
やがて仲間も増え、みんなの後押しでついに交流の場が形になります。
それが「えんでばよこごし」。
店名は公募で決めました。
「縁で」「笑んで」+「場」。それに英語のendeavor=努力する。
その名の通り、いつも笑顔の山本さんが人々のご縁をつなぎます。
ミシンで仲間と被災地支援
「ミシンの友愛」をオープンしたのはいつ?
山本10年前。2011年の3月9日。
—東日本大震災の2日前!
山本そうなの。だから、震災で大変な状況の人たちがいるのに、「ミシン屋でございます」なんてやってていいのかと落ちこんでしまって。
—新潟は被災地ではないけれど、気持ちの問題として。
山本そう。それでもハンドメイドの楽しさは伝えていきたいし、ミシンの出張修理やワークショップを公民館や友達のカフェを借りてぽつぽつやってたの。そして1年後には、ハンドメイドマーケットをやろうよという声があがって、私が主催することになったのね。アクセサリー、アロマ、お花のアレンジメントなどのハンドメイド販売と体験が15ブースくらい出て、大勢の女性たちが協力してくれました。
その準備段階で、募金箱を置いて義援金を集めようと話していたら、友達が「被災地では津波でミシンが流されてしまって困っているらしいよ。新潟で不要になったミシンを集めて、美幸さんが修理して送ってあげたら喜ばれるよ」と教えてくれたわけ。
—おお、美幸さんの出番。
山本それでミシンを募集して、春の第1回「わくわくハンドメイドマーケット」で10台くらい、秋の第2回では50台くらい集まったんです。ミシンを送った陸前高田の人たちもハンドメイド作品を販売に来てくれたり。そんな活動をしているうちにボランティア仲間も増えて「もっと大きいイベントをやってよ」と言われ、40ブース以上の「ヒントの玉手箱」というイベントを始めたの。
—うんうん。
NPO設立から「えんでばよこごし」オープンへ
山本イベントは公民館とかお友達のお店を借りてやっていたけど、手狭になってきたし、「飲食もできて仲間がゆったりできる場所があるといいよね」という話になり、「美幸さん考えてよ」と頼まれました。
—頼まれるとやってしまうのね(笑)。
山本そうなの。とりあえずNPO法人作ったらかっこいいかな、補助金とか出るかな、と思って2013年に作りました。設立趣旨は、新潟で商売をしたい人のご縁をつなぐこと。でも、なにも特典はなかったわね(笑)。市と一緒になにかやれるかなと思ったけど、関係なかった。でもその頃に横越商工会といろいろな活動をするようになって、江南区の特産品開発をしてほしいって頼まれた。
—また頼まれた。
山本江南区は梨のふるさとだというので、できたのが「和梨のパウンドケーキ」。江南区役所産業振興課と、横越商工会とのコラボです。最初は障がい者の施設に委託して作ってたの。いまはうちの店長、夫が焼いてるけど。
—いろんな事業やってるのね。「えんでばよこごし」はいつから?
山本2014年です。新潟市の「がんばる街なか補助金」という空き店舗利用の情報が送られてきたの。この点ではNPOにしてよかったよね。それで地元の不動産屋さんに協力してもらい、ややこしい物件だったから横越商工会の人に書類作成を手伝ってもらった。借りられるかどうかわからない段階で補助金を申請したんだけど、江南区役所の担当者は「大丈夫よ、借りられなかったら辞退すればいいがね」と励ましてくれた。とにかく、周りに集まってくれるのが皆前向きな人たちだったことに感謝だよね。
—美幸さんが前向きだから引きあうものが。
夫も会社をやめてきた
—えんでばよこごしには食堂もあって、「からあげ定食」が650円、横越産コシヒカリおかわり無料と太っ腹ですが、メニューはどうやって決めたの?
山本私が食べたいもの(笑)。最初はホットドッグ出したの。ドトールにいたし。でもお腹いっぱいにならないから「ご飯炊かんばだめだ」って2週間後に1升炊きの炊飯器を買ってきてメニューを変えました。出前もやってます。学童保育にカレーライス120人前とか、からあげ弁当150個とか。
—いろんな世代の人がやって来ますよね。
山本お孫さんつれておじいちゃんが来てくれたりね。でも最初はそうじゃなかったの。もともと私は横越じゃなかったから近所に友達もいなかったし、オープン当初は「こんな店要らない」なんて変な手紙が来たり。
—ひえっ、そんな手紙まで。
山本でも「万人に受けるものはないから。とにかくやろう」と自分に言い聞かせて。夫もオープン1週間後に「男手がないから」って会社やめてきてさ。
—男手がないからって、うまくいくかどうかわからないのに。
山本だよね。うちのパパは重機の整備士さんで、電話に出たこともトイレ掃除もしたことなかったの。それが今では店長で、なんでも上手だよ。料理してケーキ焼いて、地域のお父さんとしても活動してる。
オープンしたら地域の悩みが見えてきた
山本オープンして半年くらいすると、あちこちから小学生が遊びに来るなあ、と気づき始めたの。ほら、うち駄菓子があるから。
—あ、もともと子どもに来てもらおうと考えてたわけじゃなくて。
山本もともとは「イベント仲間が集える場所をつくろう」という目的で、「地元のために」じゃなかったから。ところが子どもたちがわさわさ遊びに来るようになると、そのお母さんたちも来てくれる。次はお孫さんと一緒におばあちゃんが来る。そんな感じで広がって。
—ふんふん。
山本それで1年くらいたつと、子どもたち、お母さんたちの悩みを聞くようになるのね。
それと、そのころ「こども食堂」という言葉が流行り始めたの。貧困問題として取り上げられてたけど、私は「お金持ちでも毎日コンビニ弁当という子はいるし、お金があっても時間や親としての自覚がないと、子どもがお腹いっぱいにならないよな」と思って。
—問題は経済的なことだけではないと。
山本今うちでは月1回こども食堂をやってます。そこでお母さんがカレー食べながら「うちの子ちょっとゆっくりでね。どうしたらいいんだろう」と不安を漏らしたりする。私に解決はできないし、何が正しいかなんてわからないけど、「大丈夫だよ」と言って話を聴くことで、本人が「こうしたほうがいいのかな」と気づく、きっかけづくりはできるかもしれない。
—話すことで、自分の考えを整理できたり。
山本こども食堂の日以外でも、子どもには定食やうどんを100円で食べさせてるの。「お父さんとお母さんが喧嘩してて、おれ居場所がねえんだ」とか言うのを聴いてやるだけでも、本人は少しすっきりするわけでしょ。
みんなの商売繁盛のためにここをオープンしたんだけど、オープンしてみたら地域の課題がこんなにあるんだとわかってきたわけ。
小さな商店の後ろに子どもがいる
山本役所も商工会も政治家も、もちろん大事。でも、いろいろな人とつながるなかで最近すごく思うのは、実際に地域を変えるのは、地域で活動をしている市民じゃないかなということね。大きなことを言うんじゃなくて地道にやってる人。集いの場、子どもや高齢者の見守り、小さな商店を元気にすること、この3つの軸はいろんな場所で必要なんじゃないかと。
—こども食堂もそうだけど、いま感染症禍で、集う、見守るということが難しくなっていますよね。
山本こども食堂は、お持ち帰りにしたり、安全対策を徹底してなんとかやっています。行政主体のところは休んでいるんですよ。私たちは民間なので。もちろん不安はあるけど。でも今はどこもかしこも閉鎖なので、なんとかしたい。
—それでなるべく開催している。
山本コロナ禍に関しては、お店の休業補償にも問題があると思ってる。平等じゃないでしょ。
—飲食店とそれ以外とか。
山本お酒を出す店しか補償しないとか。皆が打撃を受けているのに。まず小さな商店の声を聴いてほしい。その後ろにかならず子どもがいるんですよ。お父さんお母さんの店の売り上げがあがらなければ、子どもたちにお腹いっぱい食べさせられない。平等にわかりやすく、ちゃんと補償してほしいと思うよね。
(つづきます)→第3回へ
山本美幸(やまもと・みゆき)
1974年富山県生まれ。4歳から新潟市在住。加茂暁星高校卒業後さまざまな職場を経て、2011年「ミシンの友愛」を開業。ハンドメイドのイベント主催や被災地にミシンを送る活動を通じて多くの人とつながり、2014年に交流の場「えんでばよこごし」をオープン。男子2人の母。趣味はおしゃべり。