第3回
フリースペース、ウッドデッキ、学習スペース。
子どもはいつでも無料で、好きなように過ごせます。
安心して自分のままでいてほしいと、大人たちは見守ります。
気取らない場所でのおしゃべりを通して地域の問題をすくいとる山本さんは
「いま見守りが必要なのは子どもだけではない」と考えています。
人のつながり、居場所づくりへの思いは、さらに深まります。
ともに支えあえる仕組みを実現したい
—この話、聞いていいのかなとも思うけど、2019年に県議選に挑戦したでしょ。どういう気持ちで出馬したの?
山本支えあいの連携をつくりたい、という願いがあったの。「児童相談所は県の管轄、健康福祉課は市だから」みたいなタテ割りではなく、地域の問題に一緒に取り組む部を設置しよう。児童相談所と民生委員の連携ももっとはかろうと。
民生委員も、担い手は今ほとんどご高齢の、元教師みたいな方でしょ。30代、40代の個人事業主やフリーランスで、地域のためになにかやりたいという人はいるんですよ。その人たちの力を活かす条例を作ろうよと。地域包括ケアシステムはタテ割りで充分に機能していないし、学校との連携や民生委員の選出方法など、いろいろ変えられるんじゃないかと思って手を上げてみたけど。
—国は「子ども家庭庁」を作るとかいうけど。結局タテ割りのまま中央官公庁の職員たちが移動するだけかもしれない。
山本課題だよね。でもここを8年やってきて、今の日本では難しいんだな、というのがわかった。議員の皆さんに言っても棚ざらしだし。
—ごめんなさい。
山本いいんです、わかってるから。市議の人も忙しそうだし。言うてみてもダメだなって。
―いえいえ、言うてみてください。選挙を経験してどうでしたか。
山本私はおべんちゃらは言えないし、政治的なことも上手に話せない。難しいよね。でも地方議員は25歳になったら誰でも立候補できるはずなんだから、やりたい人は挑戦すればいいと思う。まあ、あれこれあるけど(笑)。
子どもの居場所「ここらよ」ができた
—2階を改装して子どもの居場所「ここらよ」をオープンしたでしょ。「ここらよ」は新潟弁で。
山本「ここですよ」。
—子どもたち、来てます?
山本毎日来てますね。会員制じゃないから、来たい子が来て、自由にしてる。「今日学校行きたくないんだ」と言う子にも「じゃあここにいなよ」って。あんまり深くは聞かない。
—広いスペースでしょ。学校に行けない子とか、人に会いたくない子は来づらい、ということはない?
山本そういう子は2階のはしっこにいたり、1階に来ることが多いかな。子どもは200円あればうどんもおやつも食べられてお腹いっぱいになる。おにぎりは無料だし。「学校は行けないけど、えんでばさんは来るよ」という子はいるね。
—ロゴはカエルのデザインなのね。
山本おたまじゃくしは子ども、足が生えてるのが中高生、働き盛りのカエルに、おじいちゃんおばあちゃんのカエル。いろんな世代がいるの。
助成金をめぐる声のいろいろ
山本「ここらよ」は日本財団のプロジェクト「子どもの第三の居場所」の助成を受けてできたのね。これについては「あなたはリベラルだと思ってたのに、なんで日本財団!」って言う人もいる。日本財団の助成金は保守系の議員さんにお願いして口きいてもらうもので、こっち側の人が手をあげて実現するのは珍しいんだって。「助成金いただいたから自民党を支持しないと」という人もいるらしいよ、やっぱり。
—そうなの?
山本私は関係なくやってる。助成金をもらったから活動を規制しようとか、そんなこともないし。
—ありがたくお金をいただいて。
山本県や市からの助成がないんだから、こういうところを利用しないと、と思って。
おしゃべりは大事です
—20代、30代の人も来ますか。
山本たまに来ますよ。「会社はまだ行けないけど、ここでおしゃべりしにきた」とか。いろんな話を聞いてると、子どもだけじゃなくて、あらゆる世代に見守りが必要な時代じゃないかと思う。成人したお子さんの引きこもりの相談もよく受けるし。
—どうしたら生きやすくなるのか。
山本うん。8050問題、80代の親が引きこもりの50代の子を支えているとか、就職も結婚もしたことのない方が認知症になってしまったとか、横越でも現実に今いろんな問題があるんです。
だから、おしゃべりって大事。ここでおしゃべりして困りごとがわかれば、行政や専門の先生につなぐことができる。「40代のお嫁さんが脳梗塞になってしまった、どうしよう」「介護が受けられるからこの窓口行ってみて」って。
—ああ、話してよかった。
山本普通の人はどこに相談すればいいかわからないじゃない? だから私が機関を紹介したり、一緒に電話したり、そんなことをさせてもらってる。
めんどくさくても何度も言おう
山本「地域で活動がしたい」という人もよく相談に来るの。皆さん「役場に行っても相手にしてくれない」「前言ったのに全然伝わってない」と言うんだけど、私は「そりゃそうなんさ。同じこと何回も何回も繰り返し伝えねばだめなんだよ」と言ってる。あちらはたいして聴いてなかったりするし、役場は異動もあるんだから。
—引継ぎされなかったりするし。でもそれ「めんどくさいっ」と思わない? その原動力ってなんだろう。
山本おしゃべりなだけだと思う(笑)。「前言うたのに。めんどくさ」と思っても、行かんばだめなのよ。
—いまは、待ちの姿勢ではなく援助者が必要なところに出向いていくアウトリーチ型支援が必要と言われているけど、現実にはそうなっていない。だから、市民の側がへこたれず働きかける。
山本政治家の皆さんも原点を忘れず、市民と話す機会を大事にしてほしいな。普通でいていただいて。
—普通でいる。大事だよね。
ジャマモトと呼ばれた少女
山本こないだ股関節脱臼の治療バンドつけた赤ちゃんが来たんだわ。お母さんが「この子は将来、立ち仕事できるんだろうか。子ども産めるんだろうか」って言うから「私見て。元気にやってるよ」って言ったの。私は両足が股関節脱臼で、18歳になったら歩けないと言われていたんだから。
—そうなの? それがマックでバイト!
山本新潟の「はまぐみ小児療育センター」で手術して、小2から小5まで入院していたの。そこで障がいのある子とない子が仲良くすることを学んだんです。
—長かったのね。院内学級に行っていたの?
山本そう。分校があって、同じ学年の子と2人で勉強してたの。5年生で普通の小学校に戻ったら、45人クラスで物怖じしてしまって。「教科書読んでください」と言われても、あがっちゃって読めない。足が悪くて体育はできないし、太っていたから、だいぶいじめにあいました。
—えっ、いじめられてたんだ。
山本「ジャマモト」と呼ばれてた。ものを隠されたり壊されたり。おニューのジャンパーも隠されて、シミつけられて。
—ええー。
山本普通は不登校になるよね(笑)。母は相当心配してたと思います。何もできない子で、お話もへたくそだったから。
—こんなにお話ししてるのに。いつ頃からしゃべれるようになったの?
山本中学で放送委員会に入って「おしゃべりは楽しい」と目覚めたかな。正しく読もうと思って、うちで原稿読む練習したり。でもお弁当はいつもひとりぼっちで食べてた。
子どもの人生を決めつけないで
—そういうこともあって、いま居場所づくりをしているのかな。
山本自然におしゃべりできる居場所って必要。自分も話を聴いてほしかったし。あの時代を思えば、今何を言われても。
—その時代に比べたら。
山本幸せだよね。赤ちゃんも生ませてもらってさ。股関節が悪いから自然分娩は絶対できないと言われてたのに、2人とも自然分娩で。
—そう!
山本だから、子どもを決めつけないで、と伝えたい。今はちょっと人と違うと特別支援学級をすすめられるし、「この子は障がいがあって特別なんです。できないんです」って言う親御さんが多いみたい。でも子どもは成長するし、親がいなくなっても子どもは生きていく。できないことにこだわるより、今この子にできることを見てあげてほしいの。うちの子は騒ぐし、お勉強はできないけど、料理や人のお世話は好きだよ。
—うんうん。
山本そんな感じ。ちょっと変わった人生かもしれない。
—いいねえ。もっとやりたいことがいろいろありそう。
山本うん。まだまだ、ね。
(おわります)
〔2022年2月〕
インタビューを終えて■打越さく良
3年前新潟で参議院選挙に出馬する決意をし、初めて人前に出るとき、マスコミに囲まれて、ドギマギした。そのとき、初めて会う私を笑顔で迎えてくれ、寄り添ってくれたのが、山本美幸さん。市議や県議の皆さんもいたが、彼女は今思えば落選したばかり。落ち込んだり疲れ切って、もう政治はこりごり、とおうちでのびていても無理もないとき。そんな事情を全く感じさせず、明るく楽しい美幸さんがいてくれて、私もなんだか笑顔になれた。地域の子どものこと、大人のことを、あふれる愛情で迎え、おし着せがましくなく気にかける。そんな美幸さんは政治家にぴったりなのにと惜しい気もするが、どんな立場でも、パワフルにあたたかく人を支え続けるだろう。素敵だ。
山本美幸(やまもと・みゆき)
1974年富山県生まれ。4歳から新潟市在住。加茂暁星高校卒業後さまざまな職場を経て、2011年「ミシンの友愛」を開業。ハンドメイドのイベント主催や被災地にミシンを送る活動を通じて多くの人とつながり、2014年に交流の場「えんでばよこごし」をオープン。男子2人の母。趣味はおしゃべり。