第1回
地域のために成果をあげてきた信頼できる政治家は、
打越さく良にとっては高校時代の同級生「まりちゃん」。
2人が会えば一気に女子高生モードが復活します。
高木まりさんのこれまでのこと、そしていま考えていること。
同級生の特権で、ざっくばらんに伺います。
餅つきを企画して米を研ぐ生徒会長
打越今日は高校の卒業アルバムを持ってきました。
高木うわ、私の髪もさもさ!
打越当時流行のレイヤーだよね、まりちゃんは。私はわが道を行ってた。
高木さく良とは3年間同じクラスだったよね。やりたい放題やらせてくれる学校で。
打越ハチャメチャで楽しかったね。まりちゃんは吹奏楽部でフルートやってて。
高木あと生徒会も。
打越そうだっけ。何やってたの?
高木会長とか。楽しいことできたらいいなって餅つきイベントやったりしたよ。皆で80キロのもち米研いで、ついて、お世話になってるご近所の方にも配った。覚えてない?
打越……すまん。配ったのは、学校の前のホットドッグ屋のおじいさんおばあさんとかに?
高木そうそう。
<その後の人生>が気になって問題が解けない
打越高校卒業後、東京大学の文化1類、法学部へ。どうして文1受けたの?
高木それが紆余曲折で。最初は医者になろうと思ったんだけど「このおっちょこちょいな性格では危ないぞ」と気づいたわけ。そのころ無名塾の『ハロルドとモード』という舞台を見て衝撃を受けた。「お芝居って、一瞬で人の心を救えるんだ」って。
もともと医者志望だったのは、困っている人を医療面からサポートして楽にしてあげたかったから。お芝居には人を癒す力があるじゃないかと、医学部から私立の文学部に志望を変えた。
打越でも文1に。
高木公民の授業で最高裁判決を読んでたら頭にきちゃって。重要なことなのに「判断を避けます」とか、そんなのばかり。こんなんでいいの? と。
打越あ、裁判所に行きたかったのね。
高木そう思って「法学部にします」と言ったんだけど、やっぱり私に裁判所は向いてないなと(笑)。それで身近な相談ができる弁護士を目指しました。
打越なるほど。
高木法学部に入り、司法試験予備校も行きました。でも、だめね。さく良は弁護士になったけど、私はあの試験は苦手。通らない。
打越そう思ったのはなぜ?
高木ポイントを押さえて要領よく問題を解くべきなのに、判例を見ても「この人の人生はその後どうなっちゃったんだろう」とか考えてしまって、だめなんだよね。
打越いいですねえ(笑)。
大学4年で国家公務員に志望を変更
打越それで金融機関に就職したのね。
高木それは……ごめん、私の人生、あっちこっち行ってすっきりしたストーリーにならないの。
司法試験の勉強をしていたけど「こりゃだめだ」となり、それで霞が関に志望を変えたんです。
打越国家公務員。東大法学部は多いです。
高木「24時間戦えますか」というCMがあったイケイケの時代で。
打越バブルの頃ね。
高木そんな働き方はおかしいよね、と思って。今でいう働き方改革を公務員になって実現しようと考えたの。4年生で急に志望変更したから合格は難しいだろうけど、留年してまた受ける人もかなりいたから、それでもいいやと。
打越うん。
高木そしたら先輩に「公務員試験は面接があるよ。企業の面接を少し受けて慣れておいたら?」とアドバイスされた。それでエントリ―シートを出し、行ってみた2社の1つが東京銀行(現・三菱UFJ銀行)。それで、面接の練習と思ってのびのびと受けたら内定を頂き……。
いい人ばかりの職場 それでもふくらむ違和感
高木内定をいただいたら、就活でお会いした東京銀行の人たちが皆いい人たちで、公務員試験のために断るなんてできない、ここで働きたい、と。
入ってからも、あったかい人ばかりで、ほんとに人に恵まれた銀行時代だった。
打越そんなにいい職場だったのに、なぜやめることに?
高木それは、最終的にこの世界に来た理由につながるかもしれない。法学部志望、公務員志望、ぜんぶつながってるのかな。
為替専門銀行だから、為替のミーティングが毎朝あります。「今日はこういうニュースがあるから、思惑でこういうふうに変動するでしょう」。当然必要なことですから勉強します。
でも私は、1円の為替相場が思惑で動いちゃうことに、慣れることができなかった。
生産現場で1円のコストを下げようと思ったら、どんなに大変か。それが「思惑」で動いてしまう、という違和感。
また、営業になれば、お客様に節税対策をご提案できるように研修を受けます。タックスヘイブン、ペーパーカンパニー、さまざまな節税の技を学びます。
それを学んでいる時に私は「こんなことまでして節税するくらいなら、ちゃんと税金を払って税金の使いみちに文句言ったほうがいいんじゃない?」と思ってしまう。なかなか身を入れて学ぶ気になれない。
そんなことが重なって、銀行を離れることにしました。本当によくしていただいたのに。
打越やめたのは次の仕事を決めてから?
高木ううん、決めてなかった。
京都で選挙ボランティア
高木とりあえず好きな勉強でもしながら次にことを考えようと思って、京大の聴講生になりました。美学美術史学……ほらまた私の人生あっちこっち行く(笑)。
で、京都にいた1993年に衆議院選挙があるわけね、日本新党ブームの。
打越なるほど。
高木だれに投票したらいいかわからない。それで選挙区のすべての候補者に電話をかけたの。そのなかに前原誠司さんがいた。この人どんな演説するのかな、と思って行ってみた。
打越1人で? それとも友だちと?
高木1人で。それですぐ「これはもうボランティアやるでしょう!」と飛び込んだ。
打越へえ。
高木当時は日本新党に期待してたし。ちなみに選挙のボランティアは学生の時にもやって楽しかった記憶があり、敷居は高くなかったの。
28歳、いきなり枝野事務所のドアを叩く
高木京都には1年いて、埼玉に戻って浦和駅前のサンドイッチ屋さんでアルバイトしていたんだけど、ひょんなきっかけから、黒岩秩子さんのところに遊びに行く機会があったのね。
打越元参議院議員の。
高木当時は議員じゃなかったな。その日は介護保険導入を前に、どういう制度にすべきかということを、医療・福祉の現場を知る黒岩ご夫妻、参議院議員の堂本暁子さん、評論家の樋口恵子さんが議論していたわけ。そこに私がなぜかいる(笑)。
その時堂本さんに「あなたどこから来たの」と聞かれたの。「埼玉です」「埼玉では枝野くんっていう若手がいて、がんばってるから応援してあげて」。堂本さんにそう言われたので、枝野さんのオープンミーティングに一度行ってみようと。
打越それが28歳くらい?
高木そう。1月にオープンミーティングに出て、その翌月にはいきなり枝野事務所に行ってトントンとドアを叩き「あのー、人、足りてますか?」。
打越普通いないよね、そういう人。
高木いないね。でも当時の枝野事務所も普通じゃなくて、スタッフが25歳の人とその友だちの学生さんだけ。
打越「人、足りてますか?」「足りてません!」
高木即、投入(笑)。
(つづきます)→第2回へ
高木まり(たかぎ・まり)
1967年東京生まれ。幼少期を栃木県で過ごし、12歳から埼玉県で暮らす。浦和(現さいたま)市立常盤中学校からお茶の水女子大学付属高校に進み、東京大学法学部卒業後、東京銀行(現・三菱UFJ銀行)に勤務。1996年、枝野幸男秘書。2003年、さいたま市議会議員に当選。2011年、埼玉県議会議員に当選。夫(前衆議院議員高木錬太郎)と高校生の女子、中学生の双子男子の5人家族。趣味は裁縫とマンションでのガーデニング。
高木まりホームページ