第1回
畑の一角にあるビニールハウスに、人が集まってきます。
畑仕事。ヒノキのブロックを作る木工作業。
角田山を眺めてお茶、おしゃべり。
ここで思い思いの過ごすのは、認知症の人、引きこもりの人、退職後のシニア男性、そして近所の大人に子どもたち。
2018年に、岩崎典子さんは新潟市西蒲区で、
ビニールハウスと畑を拠点にした「marugo-to(まるごーと)」を立ち上げました。
「農福連携」は、まだそれほど知られていない言葉かもしれません。
農業と福祉の連携。
障がい者などが農業分野で働くという試みです。
働く人は生きがいと就労の場を得られ、後継者不足に苦しむ農業の現場は働き手を確保できると、
農林水産省や厚生労働省が推進しています。
福祉と農業の出会い。
それがどんな化学反応を起こすのか、岩崎さんにお聴きしました。
ないなら作る居場所
「marugo-to」という名前は、どうしてつけたんですか。
岩崎「まるごと受け止める」という意味です。このマークの由来でもあるんですけど。
あ、マルだ!
岩崎「だれでもまるごと」に「行く」。Go To。
Go To ですね。
岩崎「キャッチーな名前だから商標登録しとけばよかったね」なんて言ってたら、Go Toキャンペーンが(笑)。
岩崎さんは、ビニールハウスと畑を、高齢者、障がい者、そして地域の方や子ども、いろいろな人が集う多機能型拠点「marugo-to(まるごーと)」として活用していらっしゃいます。私も去年参加させていただいて、とても楽しかった。この企画は、どのように始まったんでしょう。
岩崎「ない」なら「創る」という発想で、できたんです。
ないなら。
岩崎いろんな居場所があるけれど、高齢者、引きこもり、障がい者と、それぞれで分かれているじゃないですか。地域の人も含めて、みんなを受け入れる場所が見当たらない。ないから、作りました。
介護の仕事をしてきた私の悩み、それに西蒲区社会福祉協議会の悩み、両方を解決する場所を作りたいね、というのが、そもそものはじまりです。
福祉にかかわる悩みはさまざま
悩みというのは、どんなことですか。
岩崎私は仕事柄、認知症の方によくお会いします。
認知症の方は、自分が認知症だということをカミングアウトできる場所がなかなかありません。ご家族も、周囲に隠してしまいがちです。
それで、7年ぐらい前に有志で「認知症カフェ」というのを作ったんです。「私認知症だよ」「あんたもかい。俺の家族もだよ」と自由に言い合える場所をイメージして。
「認知症カフェ」という名前で?
岩崎そうです。たとえば国の認知症政策がオレンジプランだから「オレンジカフェ」とか、そういう名前が多い。だけど、私たちはあえて認知症という言葉を使いました。一緒にやっていた代表の方は、認知症の家族を持つ経験から、「認知症は隠さなければいけないことではない」という思いがあって。
その認知症カフェは月1回やってたんです。でも人の悩みは、月1回じゃおさまらない。せめて週1回できたらいいな、と考えて、代表と私で活動ができる空き家を探しました。でも、なかなか貸してもらえない。
空き家なのに。
岩崎そこで相談したのが、当時の西蒲区社協のコミュニティソーシャルワーカーさんです。そこで相談にのってもらってるうちに、社協さんのほうから「私たちもじつは悩みがあるんだ」という話が出てきました。
たとえば、引きこもりとか、生きづらさを抱えててどこへも行けなかったりする人々の問題。
それから、男性のシニアが活躍できる場所がない。シニア女性は積極的に外に出るけど、男性はなかなか外に出ません。
そうなんですよね。
岩崎そういうシニア男性の持つパワーを使える場所があるといいね、と。
それぞれの持っている悩みをあげていったら、「それを解決する場所がないよね」という話になり、「うちのビニールハウス、今あいてるけど?」「じゃ、ビニールハウスを居場所にすればいいじゃん!」ということに。(笑)
利用者にアドバイスを受けて
じゃ、「農福連携」みたいな概念から始まったわけじゃなくて。
岩崎あ、そこも話すと長くなるんですけど(笑)。じつは農福連携がクローズアップされる前から、私こういうものを作りたいとずっと思ってて(スケッチブックを見せる)。
これを書いたのは、前に勤めていた法人を辞める時です。退職のご挨拶に行って、これから自分の好きなことをやりたいと思うと言ったら、「あなたは何がやりたいの?」と、ご利用者のご主人が聴いてくれて。「じつは」とお話しすると「じゃ、それ絵に書いてみて。書いて1回整理してみるといいよ」と。
それは認知症の方ですか。
岩崎奥様が認知症でした。そのご主人も持病があって、息子さんも病気を抱えていました。いろんな問題がある中で、ご主人自身がいろんなことを断捨離して、身の回りを整えていらっしゃいました。私はケアマネージャーとしてその相談を受けていたのですが、「こんどは僕があんたの悩みを聴いてあげる」と言ってくださった。それで書いたのがこれなんです。赤字でコメントしてくれたのが、そのご主人です。「口コミで広げる」「基礎をしっかり考える」「固定物を建ててはいけない。あるものを利用することが大事」。
なるほど。
岩崎自分ができる範囲でやるんだよ、というアドバイスをいただきました。それがベースにあったから、居場所づくりを考えた時に「あ、うちのビニールハウスが空いてる!」と思いついたのかもしれませんね。
農業で人と人をつなげたい
この図で真っ先に書いたのは何ですか。
岩崎農業です。
岩崎さんご自身が農業をしていたんですか。
岩崎いえ、とついで30年になりますけど、25年くらいは全然。とついだ時に「何もしなくていい(笑)」と言われたので。夫も会社員です。
こちらは専業農業ですか。
岩崎そうです。お義父さんとお義母さんがやっています。このへんはスイカ、やわ肌ネギの産地です。
農業って魅力的なところがたくさんあるんです。自分に農業ができるかっていうと、それは難しいけど、自分が携わってきた介護と関連づけて、なにかできないかな、という気持ちはずっとありました。
農地を、認知症の人や障害を持っている人たちへ働く場所として提供する。そしてその人たちは、農業の知識や農業の魅力をみんなに伝えていく。そんなことができたらな、と。一方通行じゃなくて、相互関係です。
すべての人が生きるための農業。「人が足りないからそこに人をあてがう」じゃなくて。
すべての人が生きる。
岩崎いま言われている農福連携は、「衰退していく農業に人が足りないからあてがう」という感じがしますよね。
この事業を始める前に、農福連携について市と県に聴きに行きました。どちらでも言われたのが、「大きい農業法人と福祉作業所であれば補助金は出るけれど、一農家と一個人をつなぐことは農福連携ではない」ということでした。
そうした事業所のマッチングじゃなくて、人と人をつなげたかった。
岩崎 そうです。要は、埋もれてる人たち。事業所に行ける人はまだいい。そこにもつながれない人たちがいる。だからやっぱり個人なんです。
役割がある。だから楽しい
法人と法人ではなく個人のつながりとなると、どうやって作っていくんですか。
岩崎そこは課題でもあります。出てこられない人にどうつながりを持つか。やはり、地域包括支援センター、社協さん、そうした公的支援によるところかな。あとは口コミ。「こういうところがあるよ」と、どこからか聞いて来てくださる。
男性はなかなか公民館などに足を運ばないと聞きますが、こないだ伺った時はすごく男の人が多くて、参加者ほぼ男性だったような。どうしてそうなっているんですか。
岩崎そこは社協さんの成果です。「まるごーと」を始めるにあたって、スタッフをどうするかという問題がありました。そこで社協さんのやっていた「男性シニア講座」の受講者に「まるごーと」のコアメンバーとして加わっていただきました。仕事をいったん終えたシニア男性の知識とパワーってすごいじゃないですか。それを発揮していただいています。
「農福連携」という漢字四文字を見ると、意義はあるけど堅苦しい感じだなあ、と何となく思ってたんですね。ところがこの前伺ったら、利用者の方が「ほんっと、これ、楽しいんだよねえ」と。
岩崎ああ、Nさん。
「緊急事態宣言の時は寂しかったー。やることなかったー」って。めちゃくちゃ楽しそうに。私にもいろいろ教えてくださって。
岩崎大根すぐり(笑)。ここではみんな役割があるんですよ。
やっぱり役割が重要なんですね。
岩崎人にあてがわれた役割じゃなくて、自らが「これ、できるな」って役割を見つけるんです。「まるごーと」にはなんのルールもない。作ろうとも思ってないし。打越さんに大根すぐりを教えたNさんは、実は「要介護2」の認定を受けています。
え! あの方、要介護2ですか。でも、農業については先生。
岩崎畝づくりの大先輩なので。それぞれが、自分のやれることをやっているんです。
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岩崎典子(いわさき・のりこ)
1965(昭和40)年、新潟県燕市生まれ。中学校では体操部、高校ではラグビー部マネージャー。
会社員を経て結婚、一男一女の母となる。
1998(平成10)年に介護の仕事を始め、現在はケアマネージャーとして活動。2018(平成30)年、ビニールハウスと畑の多機能型拠点「marugo-to(まるごーと)」を立ち上げる。
marugo-to