認知症、引きこもり、リタイア後の男性シニア、地域の人々。
さまざまな人が集まる多機能型拠点「marugo-to(まるごーと)」。
その代表をつとめる岩崎典子さんは、子育てしながら介護の仕事を20年以上続けてきました。

介護はとても意義のある仕事です。
その必要性は疑いようがありません。
一方で、介護業界は深刻な人手不足が続いているのが現実です。

しかし岩崎さんはこの仕事を
「楽しみのほうが、つらいものより多かったです」と笑顔で語ります。

その理由は……。

表彰状を受け取る認知症当事者

岩崎2019年、NHK厚生文化事業団の「認知症とともに生きるまち大賞」を、「まるごーと」がいただいたんです。東京での表彰式に利用者のNさんも一緒に行きました。表彰状も彼が受け取って、インタビューに答えて。

認知症の当事者が登壇して、思いを述べた。

岩崎最初にここへ来た時、彼は家族の手に余る存在だったんです。そこで、地域包括支援センターから紹介されて、うちに来るようになりました。

いまのNさんを見ると、そんな状態だったとは思えませんね。

岩崎でしょう。彼は作詞作曲もしてくれたんですよ。「まるごーと賛歌」。

利用者さんが作った「まるごーと賛歌」の楽譜。

ところで、「まるごーと」はコスト面でいうとペイしないんでしょうか。

岩崎はい(笑)。

やっぱりそうかー。

岩崎お金はないです。お金が生まれることも、まだやっていないので。

野菜を売ったりはするんでしょう?

岩崎去年から始めました。西蒲区でやっている鯛車市というところに毎週火曜日行って、自分たちが作った野菜を売ってます。
あと、「防虫ブロック」。地元の工務店さんから廃材をいただいて、みんなで加工して商品にし、販売しています。

それで収支があう、というところまではいかないんですね。

岩崎それでも行かないよりは行った方がいい。まるごーとの活動も、野菜も知ってもらえますから。あと、私こんなガチャガチャした感じだから(笑)、街の人たちが「活気があるね。元気もらうよ」とか言ってくれて。

ははは。

ひのきの防虫ブロック。ロゴ入り。

有償ボランティアから福祉の道へ

もともとは何をしてらしたんですか。岩崎さんの、その活気はどこから来るのかと。

岩崎結婚してからはずっと専業主婦だったんですけども、たまたま友人から「ヘルパーという仕事があるよ」と聞いて。下の娘が3つくらいの時だから、今から20年くらい前ですね。最初は有償ボランティアでした。

お子さんが小さい時に仕事を始められたんですね。子育てとの両立は大変でしたか。

岩崎今もそうですが、岩崎の両親の理解と協力があったからこそできたかな、と思います。あと、夫の協力もあったので。

どんな時間帯にお仕事をしてらしたんですか。

岩崎普通に朝8時半からでした。土日も携帯に連絡があれば緊急対応はしていました。

それからケアマネージャーとして独立されたんですね。

岩崎はい。最初の勤め先では介護のさまざまな勉強会、研修会があって、認知症介護指導者などの資格もとらせてもらったし、上司にも恵まれて、視野が広がりました。
福祉事業以外の事業も展開している法人だったので、「ゆりかごから墓場まで」という一連の流れの中で、いろいろな人と関われた経験は大きかったですね。農業と介護、異分野をつなげる発想の背景になっているかもしれません。

「まるごーと」を訪れた打越と、岩崎さん。

介護の仕事はつらい?

介護の担い手不足ということが言われますが、どう工夫すればやりたい人が増えるのでしょう。

岩崎うーん。これは私の主観ですが、介護の楽しみがまだ知られていないんじゃないかな。
介護は3K、すごくつらいと思われている。この仕事は、その人とじっくり関わる時間が大切なのに、人が足りないから目の前の業務をこなしていかなければならない。それで今は「介護が楽しい」と思える環境ではないかもしれないですね。

介護の専門学校に行くことを、たとえば高校の進路担当の先生も生徒にあまり勧めないかもしれません。

岩崎まずご両親が反対するじゃないですか。「大変な仕事だ」って。

「エッセンシャルワーカー」と讃えたところで、なんか違う。

岩崎まだ、つらい仕事だと皆思ってるんでしょうね。

つらい仕事ではないですか。

岩崎つらい仕事ばかりではないです。
きついな、と思うことは確かにあっても、人との関りの中で得るものがたくさんある。学ぶ、得る楽しみのほうが、つらいものより多かったな、私は。「あの利用者さんのところに行ったら、次なに話そうかな」「あの人いま何してるかな」なんて思ったり。ほんとは仕事として切り離すべきなのかもしれないけど。

作業のあとのお茶タイムも楽しい。

「できなくなっていく」を受け入れるには

岩崎やっぱり、根っこにあるのは、「人が好き」ってことなんでしょうね。

子どもが好きという人は多いし、子育ての場合は、世話が焼けても成長を見る喜びがあり、やがて手が離れます。
しかし高齢者介護の場合、その人がどんどん衰えて、今までできたことができなくなっていく。そのことに向き合うのがつらくなっちゃうのかな。特に家族の場合は。

岩崎子育ては足し算だけど、介護はどんどん減っていく引き算です。しかも1つずつじゃなくて、一気に10とか20とか減ってしまう。だからできていた時と比べないで今を見ましょう、と言っても、家族の場合なかなか難しいですよね。

そうですよね。

岩崎今のその人を本当に受け入れるには、時間がかかります。その時に、寄り添ってくれる誰かがいれば、違ってくる。その寄り添う役も専門職の仕事です。

じゃ、岩崎さんはご家族の話を聴くんですね。

岩崎何をするでもなく、ただ聴く存在でもいいのかな、と思っています。
出会ったご利用者の方、そのご家族から教わることはすごく多かったです。
以前、一人の認知症の方にお会いしました。彼女がはじめて会った私に言ったのが「おまえさんは私の味方なのかい?」。

きびしいですね。

岩崎でも、正しいなと思って。「あんたがおれの方を向いているなら、すべてをゆだねる。でもあんたが別のところを見ているなら、おれは協力しない」と、はっきり言われました。そして「おれは畳の上で死にたいからね」と。

新潟の方だから女性で「おれ」と言うんですね。そのご利用者は何をされていた方なんですか。

岩崎お花の先生をされていた方です。一人で生きてこられて、自分のことは自分で決める気丈な方でした。
そこからですね、「本当にこの人はどうしたいのか」を聞くようになったのは。いまのその方の状態があるけれど、本当はご自分がどうやって生きていきたいのか。その方自身に確かめるようになりました。
ご利用者にずっと教えられ続けて、ここまで来ています。

(つづきます) →第3回へ

岩崎典子さん。ご自宅にて。

岩崎典子(いわさき・のりこ)
1965(昭和40)年、新潟県燕市生まれ。中学校では体操部、高校ではラグビー部マネージャー。
会社員を経て結婚、一男一女の母となる。
1998(平成10)年に介護の仕事を始め、現在はケアマネージャーとして活動。2018(平成30)年、ビニールハウスと畑の多機能型拠点「marugo-to(まるごーと)」を立ち上げる。
marugo-to