第2回
結婚して玉実さんがここに住み始めたのは2月で、家は雪に閉ざされ寒くて真っ暗だったそう。
それでも3日後には「なんていいところだろう!」としみじみ思ったその理由は—。
えんえん続くお茶飲み話が貴重な情報源
玉実結婚してここへ来たのは2月でした。
打越寒かったですね。
玉実寒かったです。この家が完全に雪で埋まってて、真っ暗(笑)。来て3日目に「川谷生産組合で味噌作ってるから手伝いにでも来んかね」と誘われ、「1人で暗くて寒い家にいてもなんだし」と思って、行きました。そしたらあれよあれよという間にメンバーに組み込まれて。
打越生産組合は何人くらいなんですか。
幸彦地元の女性3人と、手伝いの私で。
玉実私が入って5人になりました。廃校になった元小学校で、味噌や漬物などの加工品を作っています。きっとお母ちゃんたちが気をつかって誘ってくれたんでしょう。10時に行くと、そこから延々とお茶のみが始まりました(笑)。
打越仕事が始まらない。
玉実10時半になるとやおら動きだし、半日くらい仕事をしておしまい。「なんていいところだろう!」と思いました(笑)。
それから毎日のようにお茶のみ話。この時期になると皆さん「山菜が楽しみだ」という話ばかりです。「ぜんまいの夢を見た」とか(笑)。そして雪が解けてくると、皆そわそわと春の種を撒き始める。それを聞いて私も撒き始めてみたり。夫は農業研修を受けてますが、私はまったく農業経験がないので、お母ちゃん方にぜんぶ教えてもらって。
幸彦僕は農業の勉強をしましたが、本を見て栽培計画を立てても違うことがある。ここの気候に合ったやり方があるんですよ。だから彼女がお母ちゃん方から教えてもらう知識は貴重です。
苗も野菜も料理も持ってきてくれるお母ちゃんたち
玉実皆さん苗まで分けてくれて、助言もしてくれる。それを植えるんですけど、モノにならないんですよ。
すると、皆さん私が植えたこと、そして恐らくできていないことも知っていて、できた野菜も持ってきてくれるんです。あげくの果てに、それを料理したものまで持ってきてくれる。そんな感じで皆さんに助けてもらって。
打越楽しいですね。
玉実楽しいんですよ。経験がないので最初は全然育たない。「もう少し上手くなりたいなあ」と思う。その繰り返しでここまで来た感じです。
打越繰り返すうちに、売れるようなものができるようになりましたか。
玉実植え付けるタイミングがさすがにわかってきました。あと、他の人のことをよく見る。「あの人いまどっか行った! 何だろう」と尾行して「何してるの~?」。ちょうど植えているところだと、私もあわてて植え始めます(笑)。
野菜栽培は自給メインで多品目
打越作物はお二人別々に?
幸彦お米が僕で野菜は妻が基本です。二人でやる時もありますけど。
玉実お米って大きな農業機械に乗ることが多いですよね。私は運転が下手で、機械に苦手意識があるんです。野菜は少ないスペースで、やろうと思えば鍬一本でもできる。また、家にいる時間が長い私のほうが野菜をこまめに採れます。
打越どんな野菜を育てているんですか。
玉実生産組合で新潟特産の十全ナスを漬物にしているので、このナスをまず植えました。あとは自分たちで食べるものを中心にいろいろ作って、残ったら直売所などで売っています。
幸彦戦略的に作っているのはサトイモ、ニンジン、サツマイモ。夏はすごく忙しいので、盆花以外はほとんど出荷しないんですが、これらは夏の間植えっぱなしでいい。秋に収穫して冬に少しずつ袋詰めして出すと必ずお金になります。
経営が軌道に乗ったとは言えなくても
打越青年就農給付金が終わるころには経営は軌道に乗っていたんですか。
幸彦乗っていないと思います(笑)。
打越でも生活はできる?
幸彦できますね。現金収入は、生産組合の時給が1日2、3時間、週に何日かある。最低賃金ですが。それから農業の補助金。傾斜地は農地維持のための中山間地域直接支払制度があり、面積に応じていただけます。そしてお米を売って得る収入です。ただ、山場は田んぼが狭いうえに、水が冷たいので成長が遅く、1反あたり収穫量が平地にくらべて格段に少ない。それを農協に出すと明らかに不利です。
玉実食べていけなくなります。
高くても買ってくれる100人に支えられて
幸彦でも、山のお米はたくさんとれないかわりに美味しいんですよ。だから100軒くらいのお客様に直接買っていただいています。
打越会社員時代の人脈が生きているんでしょうか。
幸彦農家相手の仕事だったので、お米買ってくれる人脈じゃないんです(笑)。ただ僕は小さいころから年賀状を一生懸命やるタイプで。
打越やはりマメさは大切。
幸彦中学や高校の先生もつながっています。うちのお米、高いんですよ。5キロで3000円、無農薬だと5000円。自分が消費者だったら買わない。でもこの値段をつけないと僕はやっていけないから恐る恐るこの値段で出すんです。今の時代にDMで、年4回。すると皆さん何かしら買ってくださるんですよ。なんでだろう。
打越鴫谷さんががんばっているから、という感じなのかしら。
幸彦応援してもらってるのは間違いないと思いますが。
玉実買い続けてくださる人たちは何を思っているのか、こっちが知りたいくらいなんです。皆さんの好意に支えられている感じです。
1人に集約するより皆で少しずつやりたい
打越さらに顧客を広げたいというお気持ちはありますか。
幸彦いずれはと思いますが、いまは売るお米が足りないので。山の田んぼは形がいびつで1枚が小さく、経営面積を増やすにも限りがあります。大規模機械化するには投資しなくてはいけません。この地域は80代、90代の方がまだ農業を続けているんですよ、できる範囲の面積で。その方たちには続けていただきたいと思うし。
玉実山では畦畔が長くて、畔の草刈りにかかる時間が圧倒的に多いんです。自走式草刈り機も開発されていますが、まだ導入できる価格ではないので、人が刈るんですよ。うちがいま3ヘクタール。平地とは事情が違うので、ここでは頑張っても5ヘクタールが限度だと思うんです。少ない面積で数人がやることで、この景観が維持されている。集約して1人でなんてとても無理。大規模化、スマート農業と言われますが、非現実的すぎると思います。
打越デジタル田園都市構想とか。
幸彦格差なく等しく便利になるなら、デジタルもスマートも基本的には大歓迎。ただ逆に人手がいらなくなって人減らしに拍車がかかるようじゃ意味がない。
玉実1人の面積を大きくするより、たくさんの人に関わってもらうほうが。
幸彦にぎやかなほうがいいよね。皆で守る。用水だって皆が使うから皆で掃除するんですよ。
玉実せつなくなりますよー、素晴らしい景色の中でも1人だったら。
コロナ禍で問い直される暮らし 山村が選択肢に
打越お2人の後に続く移住者はいるんですか。
幸彦総務省の「地域おこし協力隊」で入ってきた方が農家をやっています。いまも2組、地域おこし協力隊が入っていて、ご夫婦で来られた方は農業をしながらリモートで東京のお仕事も続けています。
打越新しいライフスタイルですね。
幸彦まさに半農半X。いまっぽい。
玉実ちょっと前まで移住者が全然来ない時期が続いたんです。
幸彦それがコロナで急に動きました。
玉実考え直すきっかけになったんでしょうね。ご夫婦は、ずっと東京でリモートワークをしていることに疑問を持ったと言っていました。もう1人は20代の男性で、まったく農業と接点がなく、棚田に惹かれて来ちゃった。なにかを変えたい、と思ったそうです。
幸彦彼は農業の研修を受けながらジビエの加工所を手伝ううちに興味が出てきて、イノシシを自分でさばけるようになり、罠の免許も取りました。ここへ来て1年もたってないんですよ。
玉実来た時はこれという目標はなかったんですが、今は「解体ワークショップをやりたい」と言っています。彼の夢を応援したいなと思います。
(つづきます)→第3回へ
鴫谷幸彦(しぎたに・さちひこ)
1977年、千葉県柏市生まれ。東京農工大学農学部卒。青年海外協力隊でウガンダへ。出版社勤務後2012年、新潟県上越市の川谷地区に移住。「星の谷ファーム」で研修。2014年に独立。中高は剣道部、大学は馬術部。
鴫谷玉実(しぎたに・たまみ)
1983年、兵庫県神戸市生まれ。金沢大学で文化人類学を学びドイツに留学。京都大学大学院で地球環境学を専攻、ベトナムの山村で調査・研究を行う。出版社勤務を経て2015年、結婚と同時に川谷地区へ。趣味は山登り。