第3回
いつしかつらくなっていた五十嵐さんは
結婚して家庭を守る生活を選びます。
そこから思いがけずアートとの旅が始まりました。
おうちを守る係になろうと思った
五十嵐1998年に手塚眞監督の映画『白痴』が新潟で撮影されたのを機に「にいがた映画塾」が立ち上がったんです。最初私は映画作りには興味がなかったんですが、出演しないかと誘われてから参加し、いま会計係をしています。その映画塾で、前からシネ・ウインドで知り合いだった人と親しくなり、2005年に結婚しました。
打越結婚して生活は変わりましたか。
五十嵐結婚した頃、この家はお米と枝豆を作る専業農家でした。でも市役所勤務の夫は多忙で家を手伝う時間がない。新潟市の「水と土の芸術祭」も最初の2009年と2012年、夫が担当課長でした。それで「私はおうちを守る係だな」と思いました。
打越なるほど。
五十嵐自分が外に出ると家が回らなくなる、と。でも2009年の芸術祭で近くに作品ができると聞いて「あそこなら行けるな」と覗いてみたんですね。大野商店街の空き事務所でMAVOYという二人組アーティストが制作した「around1935」という作品です。ここから、アーティストさんと関わり始めました。
「明後日朝顔プロジェクト」でつながる人・つながる地域
五十嵐それから日比野克彦さんの「明後日朝顔プロジェクト」。いらない布を三つ編みにして作ったロープに朝顔を育てるというので、皆さん集まって布を編んだりしてたんだけど、それはおうちにいてもできるなと思って参加しました。
明後日朝顔プロジェクトは2003年、日比野克彦さんと十日町・莇平集落の人びとが一緒に育てた朝顔から始まりました。種の履歴を大事にしていて、いろんなところで咲いた朝顔の種が旅をして次の場所で花を咲かせています。全国の二十何カ所でやっていて、毎年全国会議があります。
打越全国会議。コロナ禍でもやったのですか。
五十嵐オンラインで。新潟市は2009年から参加していて、いまは県立植物園とゆいぽーとで朝顔を育てています。
打越新潟チームは何人くらいですか。
五十嵐最近は10人くらいです。最初は全国から種を送ってもらいました。
種の形をした船が新潟港にやってきた日
五十嵐種はいろいろな所に旅ができる。2012年には「種は船プロジェクト」というのがあって、朝顔の種の形をした船が京都の舞鶴で作られました。
打越種の船!
五十嵐この船が日本海側をずっと航海して35の港に立ち寄りながら新潟にやってきました。種の形の船が舞鶴を発って、「明後日朝顔」の始まりの地、ふるさと新潟に帰るという。
新潟港で入港式をやった時、全国から「明後日朝顔」の人が新潟に来てくれました。舞鶴の人は特に盛り上がってて、本当にいろんな人たちが来てくれたんですけど、新潟の私たちは意味もよく理解してなくて「なんかよくわかんないけどタネフネ来るらしいよ」(笑)。芸術祭でてんやわんや、歓迎会の準備もあるし。それが後々考えると、あれだけ人が来てくれたのはすごいな、とじわじわ。
打越あとからじわじわ感動が。
五十嵐大変だったけど、人が来てくれるってうれしい、ありがたいことだと段々思えてきて、もっとおもてなしすればよかったな、と。それもあって、新潟に来てくれるアーティストさんが満足してくれることができたらと思うようになりました。
種の全国会議でやりとりしていると、行ったことない他の地域のことが気になります。熊本地震が起きれば「あ、熊本のみんな!」と心配になる。いろんな地域のことを思いあえる。
打越おうちのことに専念と思ってたのが。
五十嵐流れでこのように(笑)。もともと好きだから、結局動いてました。
仕事と趣味を分けたら楽になった
打越アートの活動はボランティアですね。奈穂子さんご自身のお仕事は農業ですか。
五十嵐いま農業は家庭菜園程度で、知り合いのデザイン事務所に週3でバイトに行っています。夏はお隣の枝豆農家で豆の選別を手伝うバイトがあります。冬は派遣で短期の仕事をします。
打越派遣の仕事はしんどいですか。
五十嵐ぜんぜんしんどくないです。私には合っていますね。
打越そこで働く人に「アートが好き」と話すこともあるのでしょうか。
五十嵐興味ありそうな人に話したりします。職場で知り合った人がフリーペーパーを出して、そこにアートの記事を書いたこともあります。
最初に好きなことを仕事にして、ちょっと混乱してきてやめちゃったじゃないですか。趣味のクリエイティブ系のことって、一生懸命になりすぎて公私の区別がなくなってきてしまうんですよ。
打越これで完璧というのがないからエンドレスに。
五十嵐派遣の仕事はその時間だけ集中して、あとはそのことを何も考えなくていい。そこが楽です。
打越なるほど。
現代アートと仏像のある床の間
打越ご夫婦ともにアートが好きで作品を買っていると「それ違うんじゃないの」ということはありませんか。
五十嵐もちろんあります。好みも違うし。床の間の取り合いです(笑)。
打越床の間……。
五十嵐ちょっとカオスになってますが(笑)。仏像は亡くなったお義父さんの趣味で、それはそのままにして壁に自分の好きなものを。
打越いま床の間にかかっている作品は?
五十嵐新潟出身の画家で2020年に亡くなった井田英夫さんの作品です。夫婦ともにおつきあいがありました。井田英夫さんも明後日朝顔を気にして、個人で育ててくれました。井田さんの残した種はいろんな人のところで蒔かれています。
服とかで無駄遣いはダメだけど、絵を買うことはいいんじゃないかと夫も言います。おたがいいろんなアーティストさんとつきあいがある。その方の作品展に行く。芸術祭に行く。子どものいない私たちにとって、アートや映画で動くことが生きがいという感じです。
「好き」で動けばミラクルがやってくる
五十嵐今年めちゃくちゃ嬉しいことがあって。私、作家の絲山秋子さんが好きなんです。
打越私も好きですよ。面白いですよね、絲山さん。
五十嵐小須戸アートプロジェクトというので好きになったアーティストの飯沢康輔さんの作品を見に仲間と群馬県に行ったんですよ。そしたらそこで絲山さんに会えた! 絲山さんも飯沢さんの作品が好きなんだそうです。もう唐突に好きな作家さんに会えてしまった感動でワナワナしました。「好き」で動いているといろんなミラクルが起こります。
打越嬉しいですね。
五十嵐面白いことを面白がって、皆で共有していきたいな。新潟は何もないっていう人もいるけれど、私にとっては面白すぎて忙しすぎて大変なんですよね。
(おわります)→第1回へ
〔2022年10月〕
インタビューを終えて■打越さく良
今年の4月、チューリップで大きな絵を作る「にいがた花絵プロジェクト」に行った。そこで絵心のない私に「こうするといいですよ」と昔なじみのように話しかけてくれたのが五十嵐奈穂子さんだ。
その後彼女の活動を知り、ゆいぽーとを案内していただいた。正直、アートは高尚で近寄りがたいと感じていたが、奈穂子さんまったく肩ひじ張らずアーティストとつきあっている。
どうやらアートって、いろんなふうに人生を支えてもらえたり、ほっとしたりできるもので、それぞれの視点で楽しめばいいらしい。
KYAFは仕事ではない。ファンとして「私に応援できることはあるかな?」と模索しているのが素敵だ。予算を立て制度を作るカタい仕事に私はガチで取り組んでいるが、それとは違う奈穂子さんのやわらかな行き方、そして底にある熱い思いに励まされる。
五十嵐奈穂子(いがらし・なおこ) 1974年新潟県新発田市生まれ。新潟市在住。新潟県立女子短期大学国際教養学部在学中に市民映画館「シネ・ウインド」の会員になる。以来「にいがた映画塾」「明後日朝顔プロジェクト」などさまざまな活動に関わり、2020年にアーティスト支援をする「KYAF(きゃふ)」を立ち上げた。最近は車の移動中に『モモ』『星の王子さま』などオーディオブックを楽しんでいる。