鮭に酒、豊かな食文化で知られる新潟県村上市は、総面積の85%が森林を占める「木のまち」でもあります。

今年、菅原保さんはこの地で代々続く大川屋製材所の社長になりました。

山から切り出した木を仕入れて、住宅用製材に加工して販売するのが製材業です。
木の業界は「川上、川中、川下」と3つに分けて呼ばれます。
川上が林業、川下が工務店やエンドユーザー、そして川上と川下をつなぐ中継役が、川中の製材業というわけです。

戦後の復興のために造成された人工林が利用期を迎えても伐採されず、日本の森林が危機に瀕していることは、よく知られるようになりました。
かつて100%だった木材自給率は輸入自由化以来減り続け、2002年には18.8%にまで下がりましたが、その後上昇に転じ、2019年には37.8%まで回復しています。

世界経済の変動とともに再び注目を集めつつある国産材ですが、担い手不足や工法の変化など解決すべき問題は、山積みです。

「地元の木を使うことは、地域を守ることなんです。まずは木に触れて、関心を持ってほしい」

木を愛し地域を愛し、それゆえに危機感を持って製材業という立場からさまざまなアクションを起こしている菅原さんに、築100年の住居兼オフィスでお話を伺いました。

大川屋という屋号から歴史をかいま見る

まず素朴な疑問から。苗字は菅原さんで、ご商売は大川屋さんですね。どうして大川屋製材所という名前なんですか。

菅原それがですね、正直誰もわからないんです(笑)。

あ、誰もわからない!

菅原死んだじいちゃんとばあちゃんに聴いとけばよかったんでしょうけど。
ただ、昔から林業がさかんだった山北地区に、大川という川が流れているんです。昔はその大川に原木を流して下流に運んでいた。そこから、木に関係する商売を始めるにあたって大川屋という名前にしたんじゃないかという仮説が立ちます。本当にそうかはわかりませんが、それが最近わかって、ぞくぞくしました。歴史を感じるというか、先祖の思いが伝わった気がして。

菅原さんは十一代目とのことですが、初代はいつごろの方ですか。

菅原江戸時代末期でしょうか。初代はおそらく炭の販売など木に関わる商売をしていたのではないかと考えています。製材業になったのは昭和の前です。六代目から材木屋の仕事を始めたと記録にありますが、実際はもっと前からかもしれません。

十一代目として、小さいころからお父様の仕事を見て、日常的に仕事の話を聴いていたんですか。

菅原あまり仕事の話はしていなかったですね。父は工場に行って仕事していたので、仕事をする姿を見ていたわけでもなく。

菅原保さん

残すべき仕事がうちにあった

学生時代、就職を考える時に、この仕事をすることは考えましたか。

菅原まったく考えなかったです。父から「やらないか」と言われたこともありません。新卒で就職したのは銀行です。土日休みだというのと(笑)、社会のために役立つことができるんじゃないかという思いがあったので。資金というのは企業にとって血液ですよね。そこにご協力できることにはやりがいがありました。

何年勤めたんですか。

菅原5年です。銀行で、お客さんのお話を伺うなかで、感動することはたくさんありました。融資のために私が面談するお客さんは、会社の代表者です。皆さん、経営の姿勢に夢があって、輝いている。この人のために何かしてあげたいと本当に思えました。経営者への憧れは当時からあったんでしょうね。

この仕事を継ごうと考えるようになったのはどうしてでしょうか。

菅原銀行員時代に「長男で、うちが商いやってるんだったら、早く辞めて帰りなさい」と、たくさんの経営者の方に言われました。それも心に引っかかっていたのかもしれません。
自分の道をあらためて考えた時に、振り返れば、自分の家が商売をしている。そしてそれは、残すべきものなんだろうなと。

銀行で取引していた方たちから、そう言われたんですね。

菅原そうです。いま私も経営者で、息子が4歳です。無理に継がなくてもいいと100パーセント思いますけれども、彼がうちの会社を継ぎたいと思えるような企業づくりは、していきたいと思っています。

銀行のお仕事といまのお仕事、二つ経験していかがですか。

菅原働く姿勢は、変わらないと思います。銀行員の時から、「このお客さんのために何かしてあげたい」と、たぶんそれだけで私は仕事をしていたので。
同じように、いまは会社のために、従業員のために、それから地域のために、とそれだけ考えて仕事しています。少しずつでも、よくしたい。土日休みじゃないし、銀行員の頃より夜遅いし、家族には迷惑かけてますが(笑)。

大川屋製材所オフィス兼住居

地元の木に親しんでもらいたい

かつて家は国産の木で建てるのが普通でした。しかし現在は、鉄骨、プレハブ、鉄筋コンクリート、ツーバイフォーなど、木を使わない、あるいは使っても輸入木材という家が多くなっています。製材所としては何を考えていますか。

菅原ひとつには、エリアを広げていく。これまでは営業の人間がいなかったので地元だけで営業していましたが、私が社長になりましたので、少しずつ広げようとしているところです。
それと並行して、直接エンドユーザーに訴えかける活動をしています。たとえば、キャンプやバーベキューが流行っているので、そこで地元の木を使ってもらう。いまは、コロナ禍のゴールデンウイークなので、おうち時間を楽しんでもらうために、バーベキュー、キャンプ用に無料で端材を配布しています。

え、無料!

菅原去年おこなって反響がありましたんで、今年もまたやっています。

すぐ売り上げにつながるわけではないけれど、まず木に親しんでもらう。そして大川屋製材所を知ってもらおうと。

菅原保育園や親子DIY教室に端材を提供したりもしています。村上市は木育(もくいく)を推進していて、村上杉の積み木を誕生祝にしているんですよ。子どものころから地元の木に親しんで、いずれは「地域産材を活用したい」と思ってくれればいいなと。

でも、住宅を建てたい人が、「この製材所の木で」と注文するわけにはいかないですよね。

菅原できるんですよ、それは。建て主さんが「大川屋さんの木を使ってください」と大工さんに言えば、当然そうしなきゃいけない。エンドユーザーは強いんです。だから、工務店さんはもちろん、建て主さんにも地元産の木を理解してもらう取り組みをやっていく必要があると思っています。

ストーブの上のやかん

補助金を活用して何をするのか

国産材が高いというイメージもあるようですが。

菅原国産材はおそらく高いと思います。急峻な山で育つ日本の木は、林業従事者が一本一本チェーンソーで切り出すので、平坦地で大規模伐採のできる輸入材より高くなってしまう。
それに対して国は、補助金で国産材を使いやすくしています。新潟県や村上市でも、地元材を使う住宅には補助金を出していますし、地元の信用金庫さんは、地元の木材を使うと金利を引き下げるローンを始めました。

それについては、かなり業界の努力があったのですか。

菅原市の補助金は、製材業が一丸となって提言書を出して、実現に至りました。ただそれが、補助金ありきの事業になっては困るんですよ。補助金を活用して地元材を使いやすくするのはなぜなのか。根本の理解が、薄れている気がしています。
2019年から森林環境贈与税が各市町村に付与されていますが、村上市は結構その額が大きいんです。それを有効活用してくださいと行政に働きかけているところです。

2024年から森林の保護、保全、活用のために納税者一人につき1000円の森林環境税が徴収されます。徴収に先立って、すでに各市町村に交付されているのが森林環境贈与税ですね。
村上市のホームページでその使い途を見たのですが、それが具体的に村上産のものにとってどういう意味があるのか、いまひとつ見えてこないというか。

打越さく良

山を守ることは暮らしを守ること

菅原いまの森林環境贈与税の使い途では納税者が納得できるものになっていないと、正直思うんです。行政もわからないならわからないで、木の仕事をしている現場の人間の声も聴いてほしい。民間と行政、一緒に私は取り組みたいんですよ。そのことは市にも伝えました。継続して働きかけていくつもりです。

それはお一人でなく、何人かの方で。

菅原はい、いま若い人間で集まって、市長に提言書を出そうと話しあっています。そもそもの「なんで使わなきゃいけないの?」というところをアピールしようと考えています。そこで大事なのは、やはり郷土愛です。

地元の木を皆が使って、森林が適切に手入れされることが、環境保全につながるわけですよね。

菅原そうです。そしてそれは「緑が多いと気持ちいいね」というだけの話ではない。
山の産業が絶えれば山が荒れ、災害、獣害が増え、温暖化が進みます。美しい水がなくなり、村上が誇る酒、鮭、お茶など食材の質も低下する。地域の文化は衰退して、もう歯止めがかからなくなってしまう。

山を守ることは、街の暮らしを守る切実なことだと。

菅原そこに気づいている人は少ないので、なんとかして伝えていきたいです。

 

(つづきます)→第2回へ

家の前に立つ菅原さん

菅原保(すがわら・たもつ)
1987年、新潟県村上市生まれ。中学高校時代はバスケットボール部。
県内の大学で経営情報学を学んだのち、銀行勤務を経て家業の大川屋製材所に入る。
2021年1月より同社代表取締役社長。趣味はジョギング、家族や従業員と楽しむバーベキュー。
大川屋製材所